豊臣秀吉 (1537〜1598)
本拠地:近江の国 長浜城、備前の国 姫路城、攝津の国 大坂城
父:木下称右衛門
母:
正室:ねね
師:自らの経験か?
傅役:なし
あだ名:猿、はげねずみ
身長:150cm
体型:やせ型
血液型:O型
宗教:神仏混淆
嗜好:茶の湯、碁、能、花見、舶来品収集、出目の高い側娶
評価:派手好きで、取り巻きがいないと寂しい、人見知りしない積極型。アイデア豊富でせっかちな実行者・実務家。
備考:秀吉の出自については末だに確証をもった定説がない。二十八歳ごろまでの前半生(1565年以前)は資料的にはほとんどなぞの中にある。伝説から彼の少年時代を構成すると七歳で父・称右衛門を失い、一時近くの光明寺に小僧となるべく預けられたものの出奔し、各地を転々としたことになっている。幼名を日吉丸としたことは今日では否定されている。十六歳のとき、亡父の遺産一貫文を母からもらい、木綿針にかえて行商をし東国をめぐったともいう。この頃の遍歴伝承や、母親の出身地にまつわる伝説から、秀吉を漂白の技術者集団、”ワタリ”に関連付けて推測する説もあり、また、高野聖や山伏、御師などの移動・周国する人々の集団に投じ、かわらけを売り、古着を買い、大工、米屋など三十六種もの職業体験をした(「太こう記」)と記されることもある。いずれにせよ秀吉の後半生のエネルギーや、発想、着眼の根底は、この行商、周国という自らの経験だったといえる。その後、遠州頭蛇寺城主・松下加兵衛の下で武家奉公の下地を作り、恐らく十八歳の頃、信長に仕えたということになろう。当時信長は、農村の人的資源に頼らない常設軍の創設に着手していたが、技術、補
給、土木といった面に目の利く人材を能力本位で求めており、総合的なプロジェクト能力を培った秀吉にはもってこいの職場だったといえよう。
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