武田信玄 (1521〜1573)


 本拠地:甲州
 父:武田信虎
 母:大井夫人
 正室:三条夫人
 師:岐秀元伯、策彦周良・惟高妙安
 傅役:板垣信方
 あだ名:甲州の虎
 身長:157cm
 体型:でっぷり型
 血液型:A型か?
 宗教:神仏混淆、諏訪明神
 嗜好:茶の湯、和歌、漢詩、書道、参禅、碁
 評価:現実的で熱慮断行型。部下に対する心配りがうまく、かといって迎合するでもないコントロール感覚に優れている。
 備考:過酷な覇道一筋に生きた父信虎は、王道で治国に臨んだ信玄を理解できなかったのではなかろうか。生母・大井夫人は岐秀元伯という師僧を信玄につけた。十二、三歳になる頃にはこうもうをそらんじて、師僧を驚かせ、十六歳の初陣の頃には孫子、ご子、兵法をも論ずる理屈っぽさであったという。若年で病死した父(信縄)をもち十四歳で家督をついで、以後荒大将の力任せで国内をまとめてきた信虎にはその点が頼りない理想主義や青臭さに見えたのかも知れない。あからさまに廃嫡の動きを見せる信虎の先手をうって、信玄が父を駿河に追放したのは二十一歳の時である。板垣信方、飯富虎昌ら家臣団の意思を一つにまとめ。周到の準備をめぐらした上での断行は、父子の相かつをこえた一個の国主の挙動であった。長じても好学の風は衰えず、五山の僧である策彦周良、惟高妙安らに学んだ。恵林寺に当代の傑僧・快川紹喜を招き交流したこと、また、天台宗の極官・権大僧正に任ぜられたことも周知のところである。


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