| 吉田郡山城 | |
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毛利氏の代々の居城で、中国制覇への策源地「吉田郡山城」の遠望。元就は大永3年に入城後、標高400メートル、周囲3.3キロメートルの郡山全山に城郭を拡張し、山頂から他方向へ延びる尾根上に郭を配置した。 |
| 三矢の訓の碑 | |
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「一本なら折れるが、三本なら折れない」御里屋敷跡にある「みつやのおしえ」の記念碑。元就が3人の息子に置いてあった矢を使って3人が協力して事に当たることを論した有名なエピソードを記念して建てられた碑である。 |
| 毛利元就墓地 | |
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吉田にある元就の墓地。贈従三位大江朝臣元就卿御墓と記されている。元就は、猿掛城300貫の領主から中国地方の主となり、元亀2年(1571)、75歳で大往生した。 |
| 百万一心の碑 | |
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「日を一にし力を一にし心を一にする」元就の墓所前にある「百万一石」の碑。百の字は一画を省いて「一日」、万の字も「一力」としてある。全体の意味は「衆人が協力一致して事に当たれば、遂げざることはない」ということになる。郡山城拡張の折、元就は人柱に替えて、姫の丸の礎石にこの文字を彫らせて埋めた。 |
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