国名 城名 備考
安芸 よしだこおりやま
吉田郡山城
毛利氏の居城。元就は27歳のとき(1523年8月)、毛利家第52代当主としてこの城に入った。尼子晴久は1540年6月から執拗に安芸攻略を謀るが、山全体が要害化されたこの城を陥とすことは出来ず、1541年止む無く撤退する
さるかけ
猿掛城
元就が若い頃(4歳〜27歳まで)拠っていた城。その間、元就は五歳のときに生母を失い、10歳で父の弘元に死別している。吉川家から迎えた妙玖夫人との新婚生活もここで送ったという
ごりゅう
五龍城
宍戸氏の居城。堅固な要害。毛利氏と宍戸氏との間では交戦が続いていたが、元就は家督を継ぐと、宍戸氏と和睦。1534(天文3)年に元就は長女・五龍を宍戸氏に嫁がせ、これにより出雲・備中街道を自由に出来る切符を手に入れた
ありた
有田城
吉川元経の所領。安芸守護の武田元繁が有田城に押しかけると、毛利氏は救援に駆けつけ、これを撃退。有田合戦は「西国の桶狭間」とも称され、元就はこの戦いで初陣をおさめた
かなやま
銀山城
安芸守護武田氏の居城。有田合戦で元繁が元就に打ち取られた後は、光和が当主となったが、重臣の熊谷氏に背かれ、1540年には病没。光和の死後は若狭国守護・武田元光の孫・信実が継ぐ。信実は尼子氏の南下に伴い、勢力回復をはかり、吉田郡山合戦では毛利氏に敵対。だが、1541年5月に大内義隆が銀山城を攻略。城主の信実は出雲に敗走した
たかまつ
高松城
城主・熊谷信直は銀山城主親密な主従関係にあったが、1533年3月に起こった可部横川合戦を契機として大内陣営に参入。河部横川合戦では熊谷軍が健闘し、武田軍を撃退した
たかやま
高山城
小早川氏が本拠とした山城。1544年に小早川家を継いだ隆景は、高山城の改築を行い、1551年新高山城に城易した
さくらお
桜尾城
厳島神領の中心に位置する。厳島合戦で毛利の拠点となった城
みやお
宮尾城
厳島合戦(1555年)の際、元就が陶晴賢を誘き寄せる為に築いた囮城
はたがえし
旗返城
江田隆連の本拠。1553年10月、大内(陶)氏を離反して尼子方に走った隆連の旗返城を元就が陥落。城将・江田隆連は敗走
    戻る