■ RJW歴史人物辞典 【14】 |
上杉景虎 【うえすぎ かげとら】 |
![]() 【幼名】竹王丸 三郎 出西堂 【実父】北条氏康 ■北条から上杉へ■ 氏康の七男・氏秀であるといわれる。 幼少期に箱根早雲寺の喝食となる。 甲駿相三国同盟の成立とともに甲斐への人質として遣われたと言われるが真相は不明。 後、叔父・北条幻庵の養子となった。 1570年、越相同盟が成立すると上杉謙信の養子となり、越後に赴き上杉景虎と名乗りを改めた。 ■お館の乱■ 謙信の死後、同じ養子であった景勝と家督を争う。 景虎には武田勝頼と実家の北条氏の援軍を頼みにしていたが、勝頼は中途景勝に寝返り、北条氏は雪に阻まれ軍を届けることができなかった。 後ろ盾をなくし、有力家臣らの相次ぐ戦死により景虎の敗北は決定的となり鮫ヶ尾城にて自刃。 享年二十八歳。 この乱は「お館の乱」と呼ばれる。 ■関連史跡について■ 乱の名前の由来となったお館は、現在直江津駅から徒歩五分ほどの所にその跡を見ることができる。(しかし、ただの公園・・・) 春日神社(祭神は上杉謙信と菅原道真←どういう組み合わせだ・・・)の横には、記念館がある。そこには江戸期に描かれた武者の錦絵があり、そこに三郎景虎の姿が見られる珍しいものである。(長野県の小諸の懐古 園の資料館の十七将図にもいる。) 春日山城内の景虎の住居は、当地の案内図によると三の丸、資料では二の丸となっている。 相手方となった同じ養子の景勝の屋敷跡は、中城という。 ちなみに、日本酒に「景虎」がある。(これは謙信のことであるらしいが。)一度日本酒がお好きな方はご賞味あれ。 |