<<< 日本史ログ >>>


虞翻仲翔 > それでは閉会します。 お疲れ様でした。
井伊直政 > 楽しみにしてます^^<二回
桂小五郎 > ですよね・・・笑>額田様
額田王 > 楽しみにしております<二回目
本田忠刻 > 楽しみです
額田王 > 隣…です(笑>桂様
桂小五郎 > 是非<二回目
本田忠刻 > こちらこそ有難う御座いました。細かい部分などが知れて結構な収穫でした^^
李淵淑徳 > ご教授、ありがとうございました^^
虞翻仲翔 > まだネタがありますのでいずれは第2回を開きますのでまたお願いします。m(_ _)m
保科正之 > お疲れ様でした。 >皆様 ・幹事様
桂小五郎 > すぐ傍じゃないの?>額田様<新潟
額田王 > いえ、楽しかったですw
桂小五郎 > いえ、楽しかったです、ありがとう御座いました^^
額田王 > 新潟は意外と近い…かも
虞翻仲翔 > それでは、皆様お忙しいところを長々とありがとうございました。
本田忠刻 > 新潟、興味大ですね(笑) どれ、さっそく
虞翻仲翔 > 興味のある方は新潟県の地図を広げて照会してみると面白いですよ。
李淵淑徳 > 被った^^;
李淵淑徳 > 新発田はよく聞く地名ですね^^
桂小五郎 > 新発田市なんか有名ですね^^
虞翻仲翔 > 蛇足ながら、これまであげた国人の名前の地名は未だに新潟県内のあちこちにあります。
本田忠刻 > お疲れ様でした。
桂小五郎 > はい、有り難う御座いました(o*。_。)oペコッ
井伊直政 > なるほど。
李淵淑徳 > その地方の豪族はたまったものじゃないですね^^;
井伊直政 > ありがとうございました。ご苦労様です>仲翔殿
虞翻仲翔 > 攻め入る地方の豪族の兵を動員していました。
額田王 > あ。はい。勉強になりましたペコリ(o_ _)o))
李淵淑徳 > はい。ありがとうございましたm(_ _)m>仲翔殿
虞翻仲翔 > さて、そろそろ閉会といたしたいのですが、よろしいでしょうか?
李淵淑徳 > あいつだけには勝てんという、個人の軍事能力という部分も含めてですね<力量
井伊直政 > 景勝は地元の兵以外も使ったんですか?
桂小五郎 > 惹き付ける力とか…?>額田様
虞翻仲翔 > 他国に攻めるときにでも各地の力はアテにしないで一門や旗本、その地方の国人の兵が主だったということですからね。
額田王 > カリスマとは、人間的魅力という?
桂小五郎 > 一代かぎり?
額田王 > 結局、上杉家は謙信に頼っていた部分が大きかったと…
桂小五郎 > カリスマかもしれませんね
井伊直政 > なるほど<謙信の力量
李淵淑徳 > (少し脱線すみません)国人衆が勢力たもったまま越後をまとめられたのは、謙信個人の力量が大きかったような気がしますね
額田王 > 燻っていた物が表にでて来るきっかけだったのでしょうか…<御館の乱
李淵淑徳 > 景勝と国人衆の力関係がはっきりしてしまいましたね。<御館の乱
額田王 > 家臣の軍功…により…再興もありえたのか…
井伊直政 > ふむ、確かに<よき家臣
虞翻仲翔 > 結局、「御館の乱」というのは越後国人衆にとって運命を左右されたとても大事な事件だったというわけですな。
保科正之 > 持つべきは良き家臣、といったところでしょうね。 >再興
桂小五郎 > ほほう
井伊直政 > なるほど。<家臣の軍功
李淵淑徳 > 柿崎家家臣の軍功らしいです<再興
井伊直政 > すると雑兵の身分で軍功を上げたということですか?<憲家
虞翻仲翔 > 晴家が殺された時点で断絶されたのでしょう。
李淵淑徳 > 景家も殺されたという史料もあるようですが・・・<内通
桂小五郎 > 再興って事は一度断絶されてるんですか?
保科正之 > まぁ、不当評価の多いゲームですから。〈汗
虞翻仲翔 > で、その晴家は信長との内通を疑われて殺されましたが、晴家の子の憲家が御館の乱の際に軍功があったため再興されました。
桂小五郎 > …思うところは同じですか…<某ゲーム
額田王 > 思慮分別に欠けるところがあった、と書いてありますね…
保科正之 > あ、口が滑った。〈滝
李淵淑徳 > ふむふむ
保科正之 > でも、某ゲームでは政治力19/100という…〈汗 >統治能力
桂小五郎 > 確かに某ゲームでは…(以下自主規制
虞翻仲翔 > 景家の子晴家は越相同盟の際に北条家の人質として送られましたが、すぐに帰ってきたようですね。
虞翻仲翔 > 猛将のイメージが強いですが、なかなか統治能力もあったようです。
虞翻仲翔 > 柿崎景家は謙信政権では奉行職を努め、第4回川中島の合戦では先鋒務めたそうです。
桂小五郎 > ふむふむ
虞翻仲翔 > 柿崎氏は先ほどの阿賀北衆の安田氏の一族であります。
井伊直政 > 了解です
額田王 > 了解です<柿崎氏
保科正之 > 了解です。 >柿崎氏
桂小五郎 > はい<柿崎氏
李淵淑徳 > 了解です>柿崎氏
虞翻仲翔 > 次は柿崎氏の話題ですが、よろしいでしょうか?
桂小五郎 > いざこざ・・・
保科正之 > そうです。 >戦功が基準 >ただ、その感状の軽重と枚数との比較でいざこざが起こったりもしたそうですが…〈汗
井伊直政 > 実力本位ですな<感状
虞翻仲翔 > 「座」の順位の詳細な資料がないのでなんとも言えませんが、それもあるでしょうね。<感状で格付け
保科正之 > 先程の第二回上洛でも、関東管領職を受けて良いかどうか聞くためだけのものなのに、わざわざ行ってますからねぇ…書状で済ませればよいものを。〈笑 >大義名分好き
李淵淑徳 > 戦功が基準という事ですか?<感状
額田王 > 大義名分=正義?
保科正之 > (脱線失礼)その「座」は家格や年齢ではなく、感状で決められていたと言いますね。(上杉家の場合
李淵淑徳 > 大義名分好きなんでしょう(笑)<謙信
桂小五郎 > φ(・_・”)メモメモ<瓶割様と・・・<信行
小姓 > 井伊直政殿、ようこそお越し下されました。
保科正之 > そうでしたね。 >統一時には無力 >てか、あんな人には某としては背きたくないです。後で何されるか分からんので。〈苦笑
李淵淑徳 > それじゃ、地侍勢力残っちゃうなあ^^;<一つか二つ
虞翻仲翔 > でも「座」という国人の格付けはあったようで、北条氏の反乱後安田氏は北条氏よりも上位におかれています。
額田王 > 戦が趣味…?<謙信
保科正之 > いや、その前に瓶割殿下らと組んで、争ってます。〈汗 >信行
虞翻仲翔 > 取り潰しや領土替えなどは1つか2つぐらいしかなかったとか。
李淵淑徳 > (脱線すみません)けど、尾張の国人衆は、統一時に力失ってるでしょう(苦笑)<信長
保科正之 > 謙信は采配刀槍ふるって軍を指揮するのは得意だったと言いますが、謀略と政治事は殆ど駄目であったとか…。
桂小五郎 > 信行の場合は跡目争いで片付けてオッケーでは>保科様
李淵淑徳 > 新発田氏と大違い(笑)<同族の通報
虞翻仲翔 > 家風というよりも謙信の政治姿勢の問題だと思います。
保科正之 > 松永・荒木・浅井・信行・明智…他、マイナー系を含めると結構な数に上ります。〈汗 >信長
桂小五郎 > 大事すぎる時に…起こされて死んでるから(汗<信長
虞翻仲翔 > ちなみに反乱した際には同族の安田氏に反乱を通報されているのがなんとも面白いですね。
李淵淑徳 > 上杉では、国人衆の勢力かなり温存してますね。家風でしょうか?
額田王 > 救い…になってるのかどうか(苦笑
保科正之 > 家臣の手で果てなかった事がせめてもの救いでしょうが。〈笑) >謙信
李淵淑徳 > 信長は叛乱少ないほうだと思いますよ。ただ、大事なときに起こされるだけで(笑)
桂小五郎 > ふむふむ
虞翻仲翔 > 外交で北条氏(きたじょう)と北条氏(ほうじょう)は関係があっただけにそういうことになってもおかしくはないですね。
保科正之 > ここまで家臣に突き放された例は、信長とこの人位でしょうね。(笑)
額田王 > 重要な家臣に…それはやはり城主に問題が…
李淵淑徳 > 確かに、叛乱歴のある重臣ばかり(苦笑)<叛乱
保科正之 > うむぅ…関東で北条の軍容を目の当たりにした高広父子にとって、景虎を立ててその力を利用したほうが良策と考えたためでしょうね。 >景虎側につく
虞翻仲翔 > ちなみに坂戸城は景勝の生まれた城です。
虞翻仲翔 > 上杉家も重要な家臣にたびたび反乱されていたようなので骨が折れたことでしょう。(笑
虞翻仲翔 > 御館の乱では親子共々、景虎側について景広は北条軍を誘導して坂戸城をせめていたりもしています。
李淵淑徳 > (笑)>額田王様
虞翻仲翔 > 厩橋城将となったり謙信政権内では奉行を努めていたようですね。
李淵淑徳 > こちらに国人衆の系図なんかもついてます>ALL
額田王 > …おんなじところだった(笑<淑徳殿の見ていたサイト
李淵淑徳 > Web Site Address!!
虞翻仲翔 > どうぞ。>李淵殿
虞翻仲翔 > 流されたというよりは祖が越後と中国地方に領土をもっていたようです。>桂殿
李淵淑徳 > すみません^^;私の開いてる別窓、国人の系図なんかも乗ってますから、皆さんに紹介してもよろしいでしょうか?^^;>仲翔殿
保科正之 > (脱線失礼)毛利は、やはり地頭職を受領して、下った一族ですね。
虞翻仲翔 > 天文は武田信玄に内応しましたが許され、永禄は北条氏政の調停で帰参しました。
保科正之 > 桓武平氏のようですね。 >柿崎氏
虞翻仲翔 > 北条氏は天文23年と永禄10年の2回にわたって反乱していますが、これも許されていますね。
桂小五郎 > 毛利って本州のはずれですよね…流れたのかしら…
額田王 > 成る程…(別窓開き中)<毛利氏>淑徳殿
保科正之 > 毛利…小五郎…(違
李淵淑徳 > 中国地方の毛利氏です>額田王様
李淵淑徳 > 毛利と親戚って、随分遠い地方に・・・^^;
虞翻仲翔 > 分家として安田氏がいますが、先ほどの安田氏とは違うので注意が必要です。
額田王 > 毛利氏…?(何
桂小五郎 > ふむふむ
虞翻仲翔 > まず、北条氏ですが、先ほど小野殿が言われていた通りに北条氏は鎌倉幕府公文所別当大江広元を祖としています。
李淵淑徳 > 源氏か平氏か、どっちか分かりませんね(苦笑)<柿崎
虞翻仲翔 > お馴染み、北条(きたじょう)氏、柿崎氏、などの国人がいます。
保科正之 > 了解です。 >中越
額田王 > はい<中越
李淵淑徳 > 了解です<中越
保科正之 > …まぁ、そこまでして就いた位が美味しいならともかく、不味くて、命までとられそうな感じでしたからなぁ…〈汗
虞翻仲翔 > 次は、新潟県の中心部(中越)に勢力を置いた国人衆の話ですが、
桂小五郎 > 遺産・・・(汗
額田王 > 確かに…汗<罰当たり
李淵淑徳 > 山吹色を使ったわけですか^^;<遺産
保科正之 > …罰当たりな…〈汗 >遺産を使う
虞翻仲翔 > 私が調べた資料からでは謙信の遺産を使って味方を増やしたともありますね。
小姓 > 仙桃院殿、またお越し下さいませ。
保科正之 > なるほど…露骨です者ね。 >ひいき
仙桃院 > では、私もそろそろ・・失礼いたします・・。
桂小五郎 > 乏しい・・・
保科正之 > 北条家からの圧力を恐れたからでしょうか? >御舘の乱で景勝側
虞翻仲翔 > 真実はわかりませんけど本庄氏への贔屓も過ぎたのでしょう。
李淵淑徳 > 私の調べてるサイトでは、越後国内の掌握のための、国人不優遇みたいなこと書いてあります
保科正之 > (脱線失礼)景勝は殆ど感情表現が乏しかったと言いますしねぇ… >臆病・人間不信
桂小五郎 > 慎重とか…人間不信?<景勝
李淵淑徳 > 御館の乱での論功行賞が原因ってありますね<新発田家叛乱
保科正之 > 揚北衆内における有利を、本庄家から取りたかったのでしょうか? >謙信側に付く
額田王 > 成る程。了解しました^^>保科殿
虞翻仲翔 > <阿賀北衆
虞翻仲翔 > しかし、御館の乱の際には黒川氏を除いた他の国人たちはことごとく景勝側についています。
額田王 > 景勝は臆病だったと…?(表現が不適切でしたら申し訳ありません
保科正之 > 疑惑で歴史が動く事は多々あります。某はこの件に関しても疑惑で動いたものと見なしています。 >額田王様
桂小五郎 > 色部といえば。。。忠臣蔵(マテ
保科正之 > 先程の本庄氏も、些細な事で景勝からにらまれ、一時は家臣団から名をはずされてますし。
虞翻仲翔 > 色部氏と本庄氏は祖が同じなのですが、本庄氏反乱の際には謙信側につきました。<色部氏
額田王 > あぁ。成る程…事実よりも疑惑だったわけですか…?
李淵淑徳 > 了解です<色部家
仙桃院 > 色部家・・ほぇ・・。勝長さん。。
保科正之 > というより、養父・謙信にすら完全に信服していなかった揚北衆が、果たして紆余曲折の末の宗主である自分(景勝)に従ってくれるだろうか、といった心理的懸念が新発田氏を後に排斥したものかと。 >額田王様
虞翻仲翔 > 色部家ですね。<第2位
李淵淑徳 > 第二位はどの家なんですか?
額田王 > 了解です<訂正
虞翻仲翔 > ちなみに加地氏は兵の動員数は第7位です。
李淵淑徳 > 戦国らしい(笑)<宗家より影響力強い
虞翻仲翔 > ここで訂正、兵の動員数は阿賀北衆第3位でした。<新発田氏
額田王 > 加地氏が宗家で…新発田氏が力があり危険視されていた…
虞翻仲翔 > 領土の大きさは確認できませんでしたが、宗家よりも影響力が大きかったようですね。
李淵淑徳 > 宗家は加地氏だったんですか・・・
保科正之 > ということは、宗家の加地氏より領土的には大きかったと言う事ですか。 >新発田氏 
小姓 > 高坂昌信殿、またお越し下さいませ。
高坂昌信 > すいません、明日芝居の稽古あるので、失礼します。
小姓 > 小野妹子殿、またお越し下さいませ。
小野妹子 > すみません。。。電話落ち
李淵淑徳 > それで、景勝に危険視されたと・・・<新発田氏
虞翻仲翔 > 戦の際の兵の動員数と各部隊の人数は天正3年の「上杉軍役帳」で確認できます。
額田王 > ふむふむ…
虞翻仲翔 > 新発田氏は本庄氏に次ぐ兵の動員数があったようです。
李淵淑徳 > ふむ
仙桃院 > ほぇ
額田王 > 血縁によるつながり。。?
高坂昌信 > ほう
保科正之 > ふむぅ…確かに、親や子でさえ見限る事が少なくない時代でそれだけの一族が集まるのは意外と稀有ですねぇ…
桂小五郎 > はい<新発田氏
虞翻仲翔 > 景勝に反乱したときには一族の五十公野氏、加地氏、竹俣氏そろって反乱に加わったそうですから一族の強さが相当強かったようです。
李淵淑徳 > 了解です<新発田
保科正之 > 了解です。 >新発田氏
桂小五郎 > 新潟だけじゃなかったんだ…
保科正之 > うむぅ…御舘の乱の時もそうですし、その後も大宝寺家に養子にやっていた息子と一時的に敵対してますね。〈汗 >繁長
額田王 > はい
仙桃院 > ほぇ
高坂昌信 > ふむ
額田王 > 出羽…(本体の所在地)…本庄氏はかなりの力を持っていたと…。
虞翻仲翔 > 新発田重家の話題に入りますが、
李淵淑徳 > ふむふむ・・・
保科正之 > しかも所領は出羽にまで伸びており、威圧の面でも効果は期待できたでしょうね。 >本庄氏が傘下
小姓 > 大久保利通殿、またお越し下さいませ。
大久保利通 > ではまたです^^
保科正之 > そうだったのでしょうね。 >重要 
李淵淑徳 > 越後国自体を北から守る、防衛ラインですか<最北
大久保利通 > 今日はありがとうございました。またよろしくお願いします^^
高坂昌信 > なるほど
大久保利通 > 本当にすいません。
大久保利通 > すいません、歴史会の途中ですが、この辺で落ちなければなりません。
虞翻仲翔 > 本庄氏は阿賀北衆のなかでも一番力もありましたし、最も最北に位置していたので重要だったのでしょう。>保科殿
額田王 > 本庄氏は信頼されていたということでしょうか
桂小五郎 > たしかに・・・<偉い優遇
虞翻仲翔 > ちなみに御館の乱の際には繁長は景勝方に顕長は景虎側に分かれましたね。
李淵淑徳 > 本庄氏
李淵淑徳 > えらい優遇ですな^^;<
保科正之 > ということは、謙信としては阿賀野川以北経営のためにも、本庄氏というラインを厚遇しておいたわけですね。
虞翻仲翔 > 本庄氏が謙信に背いた時には子の顕長を人質として差し出すだけで本領も安堵されていますしね。
李淵淑徳 > なるほど・・・
保科正之 > 血染めの旗印、とかいう表現も聞きますしね。 >血染めの感状
高坂昌信 > なるほど・・・
小野妹子 > 越後の北条(きたじょう)家は、毛利と親戚筋ですな。大江広元の子孫です。
保科正之 > 血判状か…。 >血で書いた
桂小五郎 > あ、逆か<一族郎党
額田王 > 成る程…了解しました<血染め
大久保利通 > ふむ
虞翻仲翔 > 一族郎党の死傷者の代償であったことからそう呼ばれています。<血染めの感状
桂小五郎 > 沢山敵を討ち取った褒美?<血染め
大久保利通 > さすがに血では書かなかったのですかぁ。
額田王 > どういうもの…?<血染め
李淵淑徳 > ふむ
保科正之 > うむ…上杉氏(長尾氏)への帰属は、前年ということになってますね…。他国衆でありながら僅か一年で譜代とは… >本庄氏
虞翻仲翔 > 血染めの感状といっても血で書いたというわけではないのです。
高坂昌信 > ほう
仙桃院 > 血染め・・。
大久保利通 > 血染めですかぁ。
桂小五郎 > 血染め…
小姓 > 小野妹子殿、ようこそお越し下されました。
虞翻仲翔 > 中条藤資、安田長秀は謙信から第4回川中島の合戦の軍功から「血染めの感状」をもらっていますが、本庄氏の場合は輪をかけて特別だったようです。
李淵淑徳 > 北阿賀衆では、特別だったんですね<本庄繁長
大久保利通 > ほぅ
額田王 > ほぅほぅ…
高坂昌信 > ふむ
桂小五郎 > ふむふむ
保科正之 > 関東管領受領の承諾を将軍家に求めにいったんでしたっけ。 >第二回上洛
虞翻仲翔 > 話は戻って北阿賀衆のなかで「御馬廻年寄之衆」だったのは本庄繁長だけです。
仙桃院 > ほぇ
大久保利通 > ふむふむ
虞翻仲翔 > 直太刀衆は一門、御馬廻年寄之衆は旗本や謙信の直臣、披露太刀之衆はその他の国人という風に区別されています。
李淵淑徳 > 1559年(永禄二年)ですね<侍衆御太刀之次第←サイト調査結果
虞翻仲翔 > 重要な国人から順番に、直太刀衆→御馬廻年寄分之衆→披露太刀之衆という表記で表現されています。
保科正之 > そんな記録も残っているんですねぇ… >侍衆御太刀之次第
額田王 > (・_・D フムフム
仙桃院 > ほぇ
額田王 > 北阿賀衆=揚北衆…
大久保利通 > なるほど
李淵淑徳 > はい<侍衆御太刀之次第
桂小五郎 > それはいつ頃ですか?<2回目の上洛
高坂昌信 > ほう・・・
高坂昌信 > 一生勉強・・・(笑
李淵淑徳 > なるほどです^^<楊北衆=北阿賀衆
虞翻仲翔 > 謙信が2回目の上洛から帰ってきたときに国人達がお祝いとして太刀を送った記録を「侍衆御太刀之次第」というのですが。
桂小五郎 > 歴史をやる機会はとうに無くしました(笑<学校で
保科正之 > >揚北衆
保科正之 > 北阿賀衆と同義語です。書物によっては、このように表記されているので。(注不足でした。)
李淵淑徳 > ←もっと遅いです(苦笑)
桂小五郎 > 私はもう遅いですね(ぇ
大久保利通 > ここでも勉強して、自分でも、しっかりやる。<勉強
額田王 > …頑張ります<勉強
李淵淑徳 > 楊北衆とは?
高坂昌信 > 今からでも遅くないかと(笑<勉強
大久保利通 > ここで、覚えよう。
保科正之 > 揚北衆の中では、随一の勢力を持っていたようですね。 >本庄氏
額田王 > 激しく同意<大久保殿
仙桃院 > ほぇ、
保科正之 > となると、本庄は平氏か…
虞翻仲翔 > その内、謙信政権下で重要な役割をしていたのが本庄繁長です。
大久保利通 > もっと、授業真面目に聞くとか、自分でも勉強しとけばよかった。(後悔
李淵淑徳 > 桓武平氏ですな(今、検索しました)<秩父氏
保科正之 > 秩父氏…近いな…〈何
虞翻仲翔 > 関東秩父氏の一族、秩父行長を祖とするのは有名な本庄氏です。
李淵淑徳 > 大見氏は存じませんが、佐々木、和田は有名ですね^^;<血統書
大久保利通 > ふむ
桂小五郎 > 伊豆というと…北条氏とつながりが?
額田王 > 真否…(笑
桂小五郎 > 確かに…<高貴な血統書
仙桃院 > ほぅ
保科正之 > ふむ、いずれもえらい高貴な血統書が付いてますね…真否はともかくとして。〈汗
虞翻仲翔 > 伊豆の大見氏を祖とする安田氏、水原氏と分かれます。
額田王 > ふむ
大久保利通 > ふむふむ
高坂昌信 > ふむ
虞翻仲翔 > 頼朝挙兵から軍功のあった佐々木盛綱を祖とする新発田氏、竹俣氏、加地氏。
李淵淑徳 > ふむふむ・・・
大久保利通 > なるほどφ(..)メモメモ
虞翻仲翔 > まず、鎌倉幕府侍別所当和田義盛の弟を祖とする中条氏、黒川氏。
高坂昌信 > なるほど・・・
李淵淑徳 > はい<頼朝以後
虞翻仲翔 > そういうことになりますね。<李淵殿
虞翻仲翔 > 北阿賀衆の国人達の祖先を大きく3つに分けることができまして。
保科正之 > となると、大半の豪族は、かつては源氏だったと言えるわけでしょうか。 >地頭
李淵淑徳 > 頼朝以後に越後に移ってきたのですか?<地頭
仙桃院 > こんばんわ。>本田殿
小姓 > 本田忠刻殿、ようこそお越し下されました。
額田王 > 成る程、そうなのですか…勉強になります^^>淑徳様
李淵淑徳 > (少し脱線すみません)山、川は防衛線として有利だったんです>額田王様
高坂昌信 > 地頭か
桂小五郎 > 地頭ですか・・・
李淵淑徳 > 鎌倉以来の家ですか・・・
額田王 > 自然のもの以外に分けるべきものが無かったからでしょうか?<山河
保科正之 > (脱線失礼)川は、当時は勢力圏の境であることが多かったですから。合戦なども川原など川に近い地域で頻発しているんですよ
仙桃院 > むぅ。。
大久保利通 > ふむふむ
額田王 > 源頼朝…鎌倉…
李淵淑徳 > やはり、山川が多いですね<境
虞翻仲翔 > 彼らの祖先のいずれもが源頼朝から地頭職として任命された武将たちなのです。
桂小五郎 > 確かに多いかも…<川を境目に
仙桃院 > ほぇ・・
大久保利通 > 川を分け目に読んでるんですかぁ。
額田王 > 成る程…
李淵淑徳 > ふむふむ・・・
大久保利通 > ふむふむ<阿賀野川、信濃川
額田王 > 川が分け目というのは多いですね…
高坂昌信 > ふむ
虞翻仲翔 > 現在の阿賀野川を境に北を「北阿賀衆」、南を「南阿賀衆」と読んでいます。
大久保利通 > ふむ
李淵淑徳 > なるほど<阿賀野川、信濃川
桂小五郎 > ふむふむ
虞翻仲翔 > 北阿賀衆には、中条、新発田、本庄、色部氏などの豪族がいたのですが、
保科正之 > 阿賀野川と、信濃川が境になっていると言う話を聞いたことがありますが… >越後の区分
仙桃院 > ほぇ、
虞翻仲翔 > 一番北側に勢力のあった豪族を総じて「北阿賀衆」と呼んでいました。
額田王 > 了解です<地方
大久保利通 > ふむふむ
李淵淑徳 > 何か、地勢的に区別されるんですか?<地方
仙桃院 > ほぇ・・
仙桃院 > ばんわ。>保科様
小姓 > 保科正之殿、ようこそお越し下されました。
桂小五郎 > ふむ・・・
虞翻仲翔 > 戦国時代、それぞれの地方に豪族達が割拠していたのです。
大久保利通 > なるほど
仙桃院 > ほぇ・・。<三等分
高坂昌信 > ふむふむ
額田王 > 成る程…<三等分
桂小五郎 > はい<三等分
虞翻仲翔 > 現代では北から下越、中越、上越と区別することができます。
大久保利通 > はい<3等分
高坂昌信 > 三等分・・・
額田王 > はい
仙桃院 > ほぇ・・<3等分
李淵淑徳 > はい<3等分
虞翻仲翔 > 新潟県の地図を北から南へ向かって3等分してみてください。
大久保利通 > 細長いですねぇ。
額田王 > はい
高坂昌信 > ふむ
仙桃院 > (細長〜い・・
李淵淑徳 > 了解です。サイト開いてます<地図
桂小五郎 > 縦に長いですね<新潟
虞翻仲翔 > まず、始めに新潟県の地図を思い浮かべてみてください。
額田王 > 宜しくお願い致します>仲翔殿
桂小五郎 > よろしくお願いします(o*。_。)oペコッ>仲翔様
李淵淑徳 > 宜しくお願いします>仲翔殿
仙桃院 > よろしくお願いしますぅ。>虞翻殿
大久保利通 > よろしくお願いします^^>仲翔殿
高坂昌信 > よろしくお願いします。>仲翔殿
虞翻仲翔 > 時間になったようなので歴史会を始めます。
Copyright © RJW(歴史時代ワールド) All rights reserved