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東郷平八郎 > でわ、皆様お疲れ様でした〜
岳飛鵬挙 > では皆様交流に移りましょうか^^
保科正之 > さて、と。雑談のほうに移ります。(生きて強制収容所を出られるとは…)
姜維伯約 > 遅かったようですね・・・
小姓 > 暫し、お待ちを!岳飛鵬挙殿によって現在のお知らせが「三国志歴史会終了致しました。ありがとう御座いました」に設定されましたぞ。
田島金太郎 > 孫権は 人狩りを やってますからね。。。
保科正之 > おかかです。 >北伐将軍様
大平清九郎 > ぱちぱちぱち!!(拍手)
田島金太郎 > えっと。。呉や 魏よりも 、職の 異民族対策は ましでしたね^^
姜維伯約 > ・・ふぅ・・
商鞅 > 雑談OKですかね?(笑)
保科正之 > そして並びに、皆様にも感謝の次第です
小姓 > 姜維伯約殿、ようこそお越し下されました。
岳飛鵬挙 > うんしょ
岳飛鵬挙 > お疲れ様でした^^;
田島金太郎 > ぱちぱちぱち!!
岳飛鵬挙 > また続きとかイツかやりたいですね^^
東郷平八郎 > 幹事殿をはじめとする皆々様、良いお話を拝聴させていただきました。ありがとうございました。
保科正之 > 有難うございました。色々と勉強になりました。 >幹事さま
商鞅 > パチパチ
岳飛鵬挙 > 2時間御清聴ありがとうございましたm(__)m皆様
商鞅 > 呉の南征もきになるな
東郷平八郎 > パチパチパチパチ(拍手)
保科正之 > ふむぅ、資料には辺境の少数民族他多数の漢民族も居たみたいですね…その漢民族も、或いは人身掌握術に劣る蜀のために逃げてきた人だったのかもしれませんね
岳飛鵬挙 > ええ。と言ったところで三国志歴史会「孔明の南征」を終了させていただきます^^
商鞅 > 中国では、今後、南よりも北が心配ですよね。
東郷平八郎 > ふむ
大平清九郎 > はう、訂正 反乱
岳飛鵬挙 > 移民政権としての蜀漢が人心を掌握しきれていなかったということではないでしょうか^^
大平清九郎 > そんなにも続くんですかぁ<氾濫
岳飛鵬挙 > 基本的に服従はしてなかったと思われますね^^>南
保科正之 > やはり、中央からの圧力と言うものが行き渡っていなかった為でしょうか。 >突発的反乱
小姓 > 商鞅殿、ようこそお越し下されました。
岳飛鵬挙 > そう考えるとやはり孔明の軍権掌握のデモンストレーションだったのかも知れないですね^^
東郷平八郎 > ほう。随分長い年数ですね<15年
岳飛鵬挙 > じつは反乱自体はあと15年ほど突発的に続きます
岳飛鵬挙 > しかし意外な事実なのですがこの南征で南は完全に平定したとオモわれがちなのですが
岳飛鵬挙 > こうして孔明の唯一南征は幕をとじます。
岳飛鵬挙 > ではまとめますね^^
岳飛鵬挙 > ほかの皆様いかがでしょうか?
保科正之 > 特にございません。
東郷平八郎 > いえ、ありません。
小姓 > 竜造寺隆信殿、またお越し下さいませ。
岳飛鵬挙 > さて、この南蛮統治でご質問などおありでしょうか?^^
岳飛鵬挙 > その飛軍が北伐で出てきたというわけですね^^
岳飛鵬挙 > そして4・軍の兵員補充のため南中でも壮丁にあたる年齢層を軍籍に入れます>これを以後「飛軍」とよんだそうです
岳飛鵬挙 > 3・中央からの官吏・軍をおかず、現地の人士を登用し柔和政策をとります
岳飛鵬挙 > 2・北部の進んだ農耕・牧畜技術を教えます。
岳飛鵬挙 > 1・いままで4群だった南中地方ほ細かく統治するために7つに分けます。
岳飛鵬挙 > 孔明が乱平定後行なった政策として
岳飛鵬挙 > そこで先ほど田島殿がおっしゃった北伐に出てくる南蛮軍に話が行きます
岳飛鵬挙 > ビルマ地方との公益を含めて国家戦略上どうしても南は版図に組み入れておかなければいけなかった
岳飛鵬挙 > 先ほど初めの方で保科公もおっしゃっていた通り、益州北部のみでは軍需物資面で不足していたのです。
岳飛鵬挙 > この南征にはもう一つ物資の確保(壮丁ふくむ)という側面がありました。
岳飛鵬挙 > はい(汗では南蛮統治に移ります。
保科正之 > どうぞ。移して下さい。
保科正之 > 私が思うに、この七縦七檎の逸話が出来たのには、孔明の思慮が働いていたためと思うのですが…。
田島金太郎 > はい・・
岳飛鵬挙 > 田島殿そのとおりです。ではこのまま孔明の南蛮統治に議題を移して宜しいでしょうか?
岳飛鵬挙 > そしてじつはこの七縦七擒は正史にも記載されてはいますが。
大平清九郎 > すごいなぁ・・・<逸話の数
保科正之 > 1000…何をやったら、そこまで作ってもらえるんでしょう…? (汗
田島金太郎 > 猛かくが、孔明に信服した証拠として、 北伐に 南蛮兵がでてきますね。。
岳飛鵬挙 > そう言ったある種偶像的な孔明像が誇大していったのではないでしょうか?
岳飛鵬挙 > その地方で1000は下らないそうです<逸話
岳飛鵬挙 > 孔明はこのたった半年の遠征で実に多くの逸話を残しているみたいです。
保科正之 > しかしながら、何故そういった伝説が出来たのでしょうね。(やはり、伝承が出来るからにはそれなりの実話があるはず)
岳飛鵬挙 > なるほど。やはり伝説色が強いみたいですね。
保科正之 > 七回も捕らえられたら、普通はそれを恥として、殺される事を願ったり、自殺するものなのでしょうが…
姜維伯約 > 諸葛亮としても、孟獲を七回も放つほど余裕はなかったでしょう・・
姜維伯約 > また、この南征では、蜀軍のはらった犠牲も小さくなかった事ですし・・
岳飛鵬挙 > やはりごろなのでしょうか?<七回
姜維伯約 > 孟獲に七回も出る幕はなかったはず・・・
岳飛鵬挙 > そうですね。春に出征して秋には平定してます。>南征
姜維伯約 > しかも反乱は単発的なもので・・
東郷平八郎 > ふむ
姜維伯約 > 南征はわずか半年で終了していますし・・・
岳飛鵬挙 > じつに興味深いですね^^
姜維伯約 > 多少話がずれましたが・・まずはこの伝説・・史実とは言いがたい物なのです・・
保科正之 > そんな話があったとは… >七度虜
姜維伯約 > ここでは、孟獲が少数民族を率いて蜀軍と戦った英雄として描かれています
姜維伯約 > 今でも南方の少数民族に、「七度孔明を虜となす」という伝承があるらしいのです・・・
岳飛鵬挙 > ふむふむ!
姜維伯約 > 南中地方では全く逆の話が存在します・・・
姜維伯約 > さて・・驚くべき事に・・
姜維伯約 > この話は『蜀志』諸葛亮伝には見えないが、裴松之の『注』にひかれる『漢晋春秋』や、巴蜀地方について記した『華陽国志』にある。ともに東晋の頃の成立であり、この逸話はかなり早い段階で成立しています
姜維伯約 > 諸葛亮はこれを聴き入れ、南蛮王・孟獲を心服させるために孟獲を七度捕え七度放してやる。ここに至って孟獲も、「未だ嘗て、七度捕えて七度放つなど聞いたことがない。」と降伏する・・
岳飛鵬挙 > お願いします^^伯約殿
姜維伯約 > 南征にあたり、馬謖は諸葛亮に「南蛮を心服させるには城ではなく心を攻めるべきです。」と進言・・
姜維伯約 > まずは通説を確認しましょうかねぇ
岳飛鵬挙 > ふむふむ。
小姓 > 竜造寺隆信殿、ようこそお越し下されました。
姜維伯約 > さて・・この最終決戦が演義ではいきいきと書かれ、七縦七擒の場面と成る訳ですが・・
小姓 > 市村鉄之助殿、またお越し下さいませ。
岳飛鵬挙 > 疫地たる所以ですね^^;<マラリア
姜維伯約 > まずこの最終戦(?)の時期は夏、場所はミャンマーに近い所で高温多湿、マラリアなどの熱中病も発生します・・
姜維伯約 > そうですねぇ・・
岳飛鵬挙 > ここで出てくるのが先ほど言った「七縦七擒」ですね^^
岳飛鵬挙 > そして更に南方に逃れた孟獲を追って南下してゆくわけです。
岳飛鵬挙 > そして馬忠が朱褒の陣とあたりこれを個々に撃破します。
岳飛鵬挙 > 孔明は越シュンで高定と李恢は出身が建寧ということもあり、ヨウガイ・孟獲に
小姓 > 市村鉄之助殿、ようこそお越し下されました。
田島金太郎 > 静かに・・・入室
小姓 > 田島金太郎殿、ようこそお越し下されました。
岳飛鵬挙 > まず孔明は主力を三つに分けます。東軍・馬忠 西軍・孔明 中路軍・李恢の三軍です。
姜維伯約 > 幹事殿、お願いします^^<説明
姜維伯約 > まず南征の流れを確認したいと思います
岳飛鵬挙 > 概要説明からいたしますね^^
姜維伯約 > 了解です
大平清九郎 > 了解です
保科正之 > 了解。 >幹事様
岳飛鵬挙 > 七縦七擒の伝説背景について。>伯約殿お知恵を借りてよろしいでしょうか?^^
東郷平八郎 > 了解です>幹事殿
岳飛鵬挙 > では実際に南征軍を起こしたところに焦点を持っていきたいとおもいます^^
姜維伯約 > さらに将兵に自身を持たせることも出来ますしね<南征
保科正之 > 超・潔癖主義と言うやつですね。 >孔明
大平清九郎 > ワンマン故の勢いってありそうですけど、後々がやはり心配ですねぇ・・・
岳飛鵬挙 > なるほど。主力は壊滅してますからね^^
姜維伯約 > そうですねぇ<ワンマン
東郷平八郎 > なるほど。その性格でいうと十分考えられますね
保科正之 > ふむぅ、五丈原の戦いの項に、そういった事が書かれております。 >凄い生活
岳飛鵬挙 > ワンマンですね^^孔明は。
姜維伯約 > さらに言えば・・夷陵で全滅した今までの精鋭軍にかわって編成しなおされた新軍を実戦で訓練した、大規模な講習だとすれば、孔明自身の出陣も頷けますねぇ
岳飛鵬挙 > 故に南征という孔明にとっての一代イベントを他人に任せられなかったのではないかと。
大平清九郎 > 結構、ワンマンなんですかねぇ?
東郷平八郎 > それは凄い(^^;)<孔明の生活
岳飛鵬挙 > ここ一番の重責に限らず何でも自分でやってしまう孔明の性格です。
保科正之 > 確かに、誰よりも早く起きて、誰よりも遅く就寝(睡眠時間2時間?)、しかも少食で全部自分でやっていればストレス病にかかりますね。(汗)
東郷平八郎 > ふむ
大平清九郎 > なるほど、ストレスですかぁ・・・
岳飛鵬挙 > そうです。ストレス。その原因として考えられるのが・・。
東郷平八郎 > 精神的な疲労からきてるのかなぁ・・・<孔明の死因
保科正之 > 孔明の死因…う〜ん、状況から考えるに、胃潰瘍とかストレス性の…って、まさか…。
東郷平八郎 > 孔明の死因ですか・・
岳飛鵬挙 > 孔明の死因はなんででしょうか?皆様
岳飛鵬挙 > 蜀が「国」として成熟するのは玄徳の死後じゃらですかねぇ。>それまでは玄徳1派の軍事集団の側面が大きかったと思われます
保科正之 > 孔明の性格…どういったところでしょうか。
保科正之 > そうなのですか。 >劉備 >どちらかと言うと、劉備は本当の大将かと思っていました。
姜維伯約 > それも考えられますねぇ^^>保科殿
岳飛鵬挙 > あと忘れていけないのが孔明の性格ですね^^
東郷平八郎 > 見方です。失礼。
東郷平八郎 > なるほど。そういう味方も面白いですね
岳飛鵬挙 > そう言った側面もあったとおもいます^^保科公
大平清九郎 > なるほど〜後々の布石にもですかぁ
保科正之 > 領国内の反乱で、自軍の士気が低下する事を見越して、士気向上のために大将自ら陣頭に立つ事を選んだ…とは考えられないでしょうか。
姜維伯約 > そうですねぇ・・やがてくる北伐の為に必要だったでしょうから・・
姜維伯約 > 劉備は戦に関してはかなり自信があったようです>保科殿
岳飛鵬挙 > なるほど国権の中枢足り得るためのデモンストレーションをかねていたわけですね^^
東郷平八郎 > ふむ。自分自身の政治的アピール。ということですか?<孔明自身の出馬
保科正之 > ふむぅ…孔明の才を恐れていたのでしょうか… >軍事主導権は渡さず
姜維伯約 > そこで、孔明としては「丞相は内政や外交ばかりか軍事にも長けている」と言うイメージ作りを行いたかったのではないでしょうか?
東郷平八郎 > ほう。そうなのですか
岳飛鵬挙 > ふむふむ。
姜維伯約 > 丞相として功績を上げながらも、今まで軍の主導権を握っていたのは劉備でして・・南征まで孔明は一度も総大将になった事がありません・・
保科正之 > こちらこそ。(謝) 当方こそが教わるべき立場なのに。 >幹事さま
岳飛鵬挙 > 詳しくおねがいします^^伯約殿
岳飛鵬挙 > そこです。保科公・東郷殿。諸説あるとおもいますが・・・。
姜維伯約 > 孔明が劉備死後に置かれた状況が最も大きな理由だと思います<孔明自身
東郷平八郎 > 失礼。自身です。
東郷平八郎 > 確かに。そこまで孔明自信が出馬する意義はあったのですか?
岳飛鵬挙 > かぶりました・・>保科公。失礼しました(汗
保科正之 > しかしながら、何故に孔明自身が出馬したのでしょうか?
東郷平八郎 > なるほど。
岳飛鵬挙 > つまり一将軍に軍を授けて決行すればいいではないか?という意見ですね。
保科正之 > なるほど。つまり、南征自体に反対ではなくて、宰相自身の出馬を取りやめるよう要請する一派であった訳ですね。
姜維伯約 > 南中と言う土地自体が不毛の地と言われ、疫病流行の土地でもあったので、一国の宰相が自らそんな危険を冒すべきではない・・と言うものです
岳飛鵬挙 > いえいえ^^今まさに伯約殿が語ったのがそれですね^^>伯約殿詳しくお願いできますでしょうか?
姜維伯約 > そうですねぇ・・結局孔明は無視しますけど・・<丞相長史の王連の意見
保科正之 > 先ほど、岳飛様は「蜀漢軍の中にも、南征反対の勢力がある」と述べておいででしたが、それらの勢力は、何故に南征反対論を唱えたのでしょうか。 (またも初歩的ですみません)
大平清九郎 > あいさつ遅れましたm(__)m 今のところはありません。
岳飛鵬挙 > 王連殿の発言ですね^^伯約殿
岳飛鵬挙 > はい^^どうぞ。
保科正之 > ひとつ、宜しいでしょうか?
東郷平八郎 > とくには、ありません。<質問
姜維伯約 > ついでに言うと・・南征に丞相自ら行くべきでは無いと言う意見もありましたねぇ
岳飛鵬挙 > いままででなにかご質問とう御座いますでしょうか?^^>皆様
小姓 > 姜維伯約殿、ようこそお越し下されました。
岳飛鵬挙 > このときにあの有名な文句「兵法は心を攻めるを上策とし城を攻めるを下策とする」のことばを孔明に送っています
岳飛鵬挙 > 孔明が南征に当たって戦略上(思想?)の頼みとしたのが先年越シュン群太守をしていた馬ショクでした。
岳飛鵬挙 > なんとここであの馬ショク君が登場致します。
岳飛鵬挙 > では次ぎに孔明の南征に対する準備(戦時上)に議題を移すしたいと思います
岳飛鵬挙 > やはりできるなら武力を使わずに平定したいという孔明らしい戦略だと思います
岳飛鵬挙 > 一度ならず李厳を通して帰順勧告を行なってますね。孔明>南中勢に対して
保科正之 > 脱線、失礼しました。(謝)
岳飛鵬挙 > そういった状勢の中孔明は南征の下準備にはいるわけですが・・・。
岳飛鵬挙 > 本流に戻しますね^^
姜維伯約 > そうですねぇ<ともかく和平
岳飛鵬挙 > そう考えられますね^^>ともかく和平。
保科正之 > 逆を言えば、蜀の、呉との和平工作の臭いを嗅ぎ取った魏の、呉への国交断絶により、呉としては、兎にも角にも蜀とは和さなければならない状況だったわけですね。
岳飛鵬挙 > そうですね。一度戦ってますね。>魏と呉
姜維伯約 > 確か・・蜀と呉が再び同盟を結ぶ前に・・魏は呉との国交断絶を宣言していますし・・
岳飛鵬挙 > しかしいちまい岩に見える孔明陣営ですが、南征に対する反対論もあったようです。
岳飛鵬挙 > と、考えられます。>魏の国是は中華統一ですたから。
保科正之 > なるほど。有難うございます。 >お二方 >話を止めて申し訳ないです
保科正之 > ふむぅ…二国同盟の前提ですか…。
岳飛鵬挙 > 呉の皇位を見とめたりしてますしね。
姜維伯約 > 呉が魏と結べば・・いいように利用された挙句、攻め滅ぼされる・・と言った筋書きが見えていたからではないでしょうか?
岳飛鵬挙 > その点についても孔明は苦心してますね。
岳飛鵬挙 > 三国鼎立上の根底姿勢として最強者(魏)には二国同盟してあたる・・と言うのが前提であったとおもわれますが・・。
姜維伯約 > そうですね・・表向きは劉備の喪に服すと言うとこだったでしょうが・・
保科正之 > (初歩的なことで申し訳ないですが)呉の側からして、蜀と結ぶことに何か利益と言うものはあったのでしょうか。確かに、魏との関係上の事もありましょうが…
岳飛鵬挙 > そして国内をまとめあげいよいよ南征・・までに持っていくのに2年もかかったわけですね^^。
岳飛鵬挙 > なるほど。
岳飛鵬挙 > 確かに。四面楚歌状態に陥ってしまいますからね。
姜維伯約 > その後は、行政改革、塩鉄の専売制度の実地、殖産興業に軍の再編成と言う富国強兵政策を次々と成し遂げていく訳です<孔明
小姓 > 関羽雲長殿、またお越し下さいませ。
岳飛鵬挙 > 最優先事項だとおもいますね。<呉との同盟>魏と結ばれる可能性だってあったあけですし。
姜維伯約 > 呉と南蛮、さらに強大な魏・・全てを敵に回すのは不可能ですからねぇ・・
姜維伯約 > まずは、呉と再び同盟を結びますね<孔明
保科正之 > なるほど…。
岳飛鵬挙 > まず孔明はなにから手をつけたのでしょうか?
関羽雲長 > そうですね・・・>美維殿
姜維伯約 > そんな中で南蛮蜂起があった訳ですから・・まさに「なんちゅうこっちゃ」と言う状態だったでしょう<蜀
岳飛鵬挙 > そうですね。国家存亡の時と言っても過言ではないでしょうね。
保科正之 > もともと成都の辺りは、兵糧などの収入も他地域から比べれば少なかったですからね…
姜維伯約 > その上、呉とは依然敵対関係・・
姜維伯約 > 荊州を失い・・無謀な東征による多大な出費・・さらに夷陵で精鋭軍を失い・・絶大なカリスマ、劉備は死んでしまいますし・・<窮状
岳飛鵬挙 > 窮状といいますと。詳しくお願い致します。伯約殿
姜維伯約 > 歳月を要した理由としては、蜀漢の窮状があげられると思います
岳飛鵬挙 > まず何故に伐南軍の編成に歳月をようしたのか。
小姓 > 結城秀康殿、またお越し下さいませ。
姜維伯約 > 南蛮が反乱を起こした理由としては、呉王(当時)孫権の色が見え隠れしますねぇ
岳飛鵬挙 > その間の状勢から検証していきたいとおもいます。
小姓 > 大平清九郎殿、ようこそお越し下されました。
岳飛鵬挙 > 223年〜蜂起が始まり、実際に南征に至ったのは225春。
岳飛鵬挙 > 玄徳の死後わずか2ヶ月にしてヨウガイ・高定・朱褒らが反乱したわけです。
岳飛鵬挙 > その間隙を突いて南中勢が反乱したのを南蛮蜂起と位置つけます
岳飛鵬挙 > 次いで先主玄徳の死去。
岳飛鵬挙 > 夷稜の戦いが起こり蜀漢側の大敗。
岳飛鵬挙 > まず皆様ご存知のケイ州失陥、及び関羽死去により
関羽雲長 > 了解です
保科正之 > 了解です。
岳飛鵬挙 > では南蛮蜂起に至るまでの時代背景をざっくりとご説明致します。
東郷平八郎 > 了解です。
姜維伯約 > 了解しました
関羽雲長 > 遅れましたがよろしくお願します
岳飛鵬挙 > といった具合に進行したいと思います
岳飛鵬挙 > ついで、装束(ファッション)
岳飛鵬挙 > 5・南蛮統治。
岳飛鵬挙 > 4・南征の反省点
岳飛鵬挙 > 3・七縦七擒の伝説を生んだ背景
小姓 > 関羽雲長殿、ようこそお越し下されました。
岳飛鵬挙 > 2・南征までのいきさつ
岳飛鵬挙 > 順序だててまず1・南征の必要性
岳飛鵬挙 > では。始めたいと思います。テーマは「孔明の南征」です。
姜維伯約 > では始めましょうか?
岳飛鵬挙 > こちらこそ。皆様も初幹事の岳飛ですが。よろしくお願いします(ぺこり)
保科正之 > (弁解じゃないですが)ほんとに無知なので、しばし傍観しまふ。(突っ込むべきところは突っ込みますが)
姜維伯約 > いえ・・大丈夫です(多分・・)<準備
岳飛鵬挙 > え・・・(汗>3分くらい待ちましょうか?伯約殿
東郷平八郎 > ええ。本日は幹事殿をはじめとする参加なさっている皆々様の貴重なお話を拝聴させていただきます。よろしくお願いしますm(_)m
結城秀康 > 途中で抜けますがよろしく。
姜維伯約 > しまった・・資料が何も手元にない(汗)<準備
岳飛鵬挙 > では始めましょうか。皆様.ご準備はよろしいですかな?
保科正之 > こんばんわ…って、叔父御で参戦ですか。 >秀康おじ様
姜維伯約 > 今晩は^^>結城殿
岳飛鵬挙 > お・・9時になりましたね。
岳飛鵬挙 > 伯約殿ぉどきどきしましたよ〜(泣
東郷平八郎 > こんばんは。>結城殿
岳飛鵬挙 > 了解です^^保科公。皆様おはやう御座います
小姓 > 結城秀康殿、ようこそお越し下されました。
保科正之 > こんばんわ。北伐将軍様
姜維伯約 > 滑り込みセーフ・・(苦笑)
東郷平八郎 > こんばんは。>姜維殿
保科正之 > 金は、岳飛鵬挙調伏の為の祈祷で忙しいから出られない、と申しておりました (泣
小姓 > 暫し、お待ちを!岳飛鵬挙殿によって現在のお知らせが「もろこし研究会・前章三国志歴会「孔明の南征」」に設定されましたぞ。
虞翻仲翔 > とりあえずお口汚しまでに。(^^;
虞翻仲翔 > もう少し調べてみるつもりですが。
虞翻仲翔 > もっとも三代続けて三公を出した名家の出身でしたからプライドの高さもあったのかもしれませんけど。
虞翻仲翔 > 司馬イのように「脳ある鷹は・・」のようにはいなかったのでしょう。
虞翻仲翔 > どの本を見ても彼自身の「才」が自らをしに追いやってしまったという締めくくりです。
虞翻仲翔 > そのほかにも楊修の利発さを示すエピソードはありますが結局、曹操に恨まれて殺されてしまったそうです。
虞翻仲翔 > 楊修はその「一合」という文字を「一人一口」と解釈してみんなで食べてしまったそうです。
虞翻仲翔 > 何故、食べたのか楊修に聞いてみたら。
虞翻仲翔 > それを見つけた近習がみんな食べてしまったため
虞翻仲翔 > それに「一合」という字を書いて置いておいたそうです。
虞翻仲翔 > この酢なるものはクリームなようなものだったそうですが、
虞翻仲翔 > ある時、曹操がシルクロードを伝わってきた「酢」(確かこんな字だったような。)ものを机の上に置いておいたそうです。
虞翻仲翔 > その代表は楊修ですな。
虞翻仲翔 > 自分より優れた人間を常に警戒していたようです。
虞翻仲翔 > もとい本当でした。
虞翻仲翔 > 本島かよと思わせますが。。(^^;
虞翻仲翔 > 笑うときはオーバーなほどのアクションで料理のなかに顔を突っ込むほどだったそうです。
虞翻仲翔 > 普段の曹操は白い衣服を身につけ腰に道具の入った袋をいつも身につけていたということです。
虞翻仲翔 > 演義の「武祖伝」を読んでいますが、
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