卞玲瓏 > お疲れ様です。約4時間に渡るご説明ご苦労様でした。
小野妹子 >お疲れ様でした。また宜しくお願いいたします。>曹操殿
明智光秀 > お疲れ様でしたな、孟徳殿
豊臣秀長 > お疲れ様でした、とても勉強になりました。ありがとう御座いました>曹操殿
諸葛誕公休 > 大変お疲れさまでした。大変興味深いお話、ありがとうございます>曹操殿
曹操孟徳 > やはり伝統には逆らえないんですねぇ^^;<宦官
諸葛誕公休 > 古来からの慣習として宦官制度は急には変えられないのかもしれませんね。なにしろ商(殷)の時代から続いているそうですから<宦官
曹操孟徳 > そうですね、司令官なんかが似合ってるような気がしますね<董卓
明智光秀 > ふむ
小野妹子 > 特に、呂布を手に入れて有頂天になってますね。常に外で頑張る人間であるべきでしたね
豊臣秀長 > うむ
曹操孟徳 > そうですね、彼のような怪物を生み出したのは宦官達のような感じも何故かしないでもないような・・・・
小野妹子 > 趙高の例がありながら、なぜ後漢王朝は十常侍はじめとする宦官を重用したんだろう・・・・
諸葛誕公休 > 権力を手にして、人が変わったというのが理由でしょうね
豊臣秀長 > 前半生はよかったんですがね。後半生まずい・・・
曹操孟徳 > では・・・説明し終わって出した私の結論は・・・やっぱ極悪人でしたな、でもなかなかオイシイ生き方だったような気もします<董卓
諸葛誕公休 > 弁明の余地なしですな。私も極悪人に激しく同意!!
卞玲瓏 > 善人、ではないですよね・・・^^;
小野妹子 > 極悪人に一票
諸葛誕公休 > ふむ・・・で、タイトルに沿った結論をいただきたいのですが・・・>曹操殿
曹操孟徳 > さて私の説明はここで終了させていただきます。皆さん本当にお疲れ様でした^^
明智光秀 > ふむ
曹操孟徳 > えぇ、5〜6日は燃えてたそうですね<蝋燭
小野妹子 > 何日も燃え続けたそうですよ・・・・正史にも書いてあったような・・・・
諸葛誕公休 > 趙高と李斯の謀略でしたしなぁ・・・それにしてもひどすぎ<蒙恬の毒殺
小野妹子 > 秦の始皇帝の功臣 蒙恬は、濡れ衣で九族皆殺しです
諸葛誕公休 > もう他人のような気が・・・Σ( ̄□ ̄;) <九族あたりまでくると
曹操孟徳 > まぁ、一族皆殺しと考えていただいても差し支えないと思いますよ
小野妹子 > 当時は九族までありましたからね。親戚・・・・何親等かでね
曹操孟徳 > 董卓はかなり太っていた人物だったので見張りの役人は特大の灯心(蝋燭の芯)を持ってきて彼の臍に突きさして火を付けました。
豊臣秀長 > 皆殺しか・・・
曹操孟徳 > 董卓の死体はその後市場に晒されるのですが、警備の人間が妙なことを思いつきます
曹操孟徳 > 彼の死後董卓の家族はたまた三族までもが皆処刑されます。
曹操孟徳 > 今別々の本を読んでるんですけど、色々な話がありますね、献帝の快気祝いに参内したとかいてます。
諸葛誕公休 > 呂布に裏切られたら董卓もおしまいですなぁ・・・側近中の側近だし
小野妹子 > 正史での口実の呼び出しは『会議』ですね。これでは盛り上がりませんね。
曹操孟徳 > そして董卓は呂布にのどを一突きにされて殺されます、その時長安にいた董卓の部下は殆ど殺されます。
諸葛誕公休 > 王允が董卓を帝の禅譲を理由におびき出したのは「演義」での話のようですね
曹操孟徳 > さて最後のシーンに入るわけですが、董卓が宮中に入ると王允が国賊を討ち取れ!と叫びます。
曹操孟徳 > あ、そういう話もあるんですか、私が読んだのは「口」が二つの方だったのもで^^;
小野妹子 > 私は布の上に『呂』を書く道士の話を知ってます。
曹操孟徳 > やがて董卓の車は宮廷内に入っていきます・・・・
小野妹子 > どのような意味なのですか?<紙に口
曹操孟徳 > ちなみに「口」を二つ書くというのは呂布の「呂」を表しているわけです。
曹操孟徳 > また黒衣に白衣を着た道士が紙を両側に垂らし、その紙に「口」の字を書くなどの話があり、董卓の最後を盛り上げていきます。
小野妹子 > 苦しいですね。(笑)<物が新しくなる前兆
曹操孟徳 > 他にも董卓が乗る車の車輪が壊れたときも李粛は物が新しくなる前兆ですと言ってその場をごまかしたりまてます。
曹操孟徳 > 董卓が呼び出される前に齢90歳を超える董卓の母親は「私の肉が震えて胸騒ぎがする」と言ってしきりに不安がりました。
曹操孟徳 > いえいえ、私の素人考えですよ^^;<連環の計
曹操孟徳 > さてそろそろ董卓の説明も終わりに近づいてきました。王允は董卓を皇帝が董卓に禅譲をしたいので参内するようにと言って呼び出します。
諸葛誕公休 > なるほど・・・言うなれば、貂蝉が董卓と呂布をつなぐ鎖としての役割となし、あわよくば両者の自滅を謀った王允の策略とかんがえられるということですかね・・・ありがとうございます^^>曹操殿
曹操孟徳 > この場合もやはり繋げて敵を破るからなのではないでしょうか?<連環の計
諸葛誕公休 > 吉川三国志も横山三国志でもそうでしたね<貂蝉の自害
小野妹子 > そうですね。侍女にてをかけていたそうですね。<呂布
小野妹子 > 吉川英治は、貂蝉を、呂布の董卓殺害後、自害する、と言う風にしてますね。烈女に書き立ててます。
豊臣秀長 > 史実でも董卓は呂布にやられたんですねφ(..
) めもめも
諸葛誕公休 > 赤壁での「連環の計」は名前通り船の連環でしたから納得できるのですが^^;董卓の場合は僮解釈したら良いのでしょう?
曹操孟徳 > 史実でも董卓は呂布に殺されますが彼らの溝の原因は呂布は本当に董卓の侍女に手を付けていてそれが発覚するのを恐れたためと、呂布が短期な董卓に殺されかけて以来、彼らの間は緊迫してものになっていきました。
諸葛誕公休 > なぜ「連環の計」というのでしょうね?
豊臣秀長 > 呂布の嫉妬か・・・
曹操孟徳 > 董卓の死後呂布の妾になり呂布の最後の戦いの時に酒色にふけるのですが彼女はその相手をするだけの存在になります。そして呂布の死後曹操によって許都に送られます<簡単な貂蝉の生涯でした
曹操孟徳 > 彼女は王允の養女で歌舞に優れた美女でした。16の時に王允の命令で董卓の妾になり、呂布の心を操って董卓を殺させます、これを「連環の計」といいます。
曹操孟徳 > ではここでは史実ではないですが、貂蝉の活躍について話しますね。
小野妹子 > そうなんですか・・・<趙雲の墓
曹操孟徳 > 趙雲の墓は文化革命の時にめちゃめちゃにされてますし^^;
曹操孟徳 > それもあるでしょうね、洛陽から長安に行くまでにも険しい道を通らないといけませんし<遷都
諸葛誕公休 > 事実、憤慨されるのもわかりますよね。三国志の英傑の墓はほとんど荒らされて副葬品などが現存していないようですしね<董卓とは関係ないですが
曹操孟徳 > 実は彼女演義の中の架空の人物なんです。しかし董卓と呂布は女性関係でいろいろ問題があったそうですf^^;
諸葛誕公休 > 春秋の時代から洛陽は守備には適していない土地(平地が多く、地の利がないから)といわれていましたからね^^ 防備の面で不安もあったんじゃないでしょうか<遷都
曹操孟徳 > さて演義ではここら辺で中国四大美女の一人貂蝉がでてきます。
小野妹子 > 皇族の墓荒らしは、考古学ファンとして憤慨しますね
曹操孟徳 > 何故董卓が長安に遷都したかというと彼の居城が近くにあったからなんです、彼の居城には2,30年分の食料が積み込まれてたようです。
曹操孟徳 > また董卓は洛陽の富豪達を皆殺して彼らの財産を自分の物にしていきます。
曹操孟徳 > 当時でも数百万いた洛陽の人口を一気に長安に移し変えるという計画のお陰で長安に行く途中に死んでいく人が多かったそうです。
曹操孟徳 > 先ほど虎牢関の戦いは創作といいましたがじゃぁ、呂布は何してたのかというと代々の王族の墓を暴いたりしてただけなんですね〜(笑)
曹操孟徳 > さて反董卓連合ができたので内心怯えていた董卓は洛陽から長安に遷都することにします。
曹操孟徳 > もう一組積極的に攻撃をしていた孫堅は江東から北上して来て董卓の軍を打ち破っていきます。こちらはいい結果をだしてますね(笑)
曹操孟徳 > 命からがら逃れた曹操はそれでも諸侯達に積極的に攻撃するよう進言しますが諸侯達はそれを受け入れませんでした。
諸葛誕公休 > 董卓倒す気なしですやんΣ(; ̄◇ ̄ノ)ノ <酒飲んでる
曹操孟徳 > 曹操は董卓に戦いを挑むものの多数の死傷者を出し、愛馬を失う始末。
明智光秀 > ふむ
曹操孟徳 > もともと董卓に対して恐れてた人達が集まって連合という形になったんですから誰も先鋒に出ようとしないのは当然ですよね^^;<反董卓連合
卞玲瓏 > 情けなや・・・・
豊臣秀長 > 皆がそんな・・・ 曹操殿偉い!!
曹操孟徳 > 実際に戦ったのは曹操と孫堅の軍ぐらいで他の諸侯は集まっては酒を飲むだけだったそうです。
豊臣秀長 > やはり、創作ですか・・・・
曹操孟徳 > しかしそれは演義の中の創作なんですよね〜(笑)<虎牢関
曹操孟徳 > そうです、演義では曹操は王允に宝剣を借り董卓を暗殺しようとします
曹操孟徳 > 反董卓連合と董卓軍の最大の見せ場は虎牢関での呂布と劉備三兄弟の戦いですね
蒲生秀行 > その中に王允や曹操殿も居るんですよね(^^)<反董卓連合
諸葛誕公休 > おお〜あの英雄勢揃いの<反董卓連合o(^。^")o
ワクワク!
曹操孟徳 > それが袁紹と盟主とする反董卓連合です
諸葛誕公休 > 参考になりました¢(._. )<五原郡出身>がも殿
曹操孟徳 > そうです、しかしそれに対して反発するものが出てきます。
諸葛誕公休 > そうでしたか・・・董卓討伐に荷担したのは知っていたのですが・・・ありがとうございます^^>小野殿
蒲生秀行 > 呂布を仲間にしたその後の董卓はもうやりたい放題になるんですよね?
曹操孟徳 > どうなんでしょうか、それも詳しくしらべてないです^^;<李粛>すいません
蒲生秀行 > 一応五原郡出身なのは正しいみたいですよ(使者の件は分かりませんが)<正史の李粛
小野妹子 > 正史では、李粛は董卓の部下ではないそうです。董卓打倒から登場です。同郷ですね
諸葛誕公休 > 演義ではそうでしたが実際に正史でも呂布と同郷だったのですか?<李粛
豊臣秀長 > そうなんですか、どうも>呂布の事
曹操孟徳 > あ、そうなんですか、そこまで勉強してなかった^^;<演義の中の話
諸葛誕公休 > 容易に想像できるのがこわいね・・・( ̄∇ ̄;)<呂布の会心の笑み>がも殿
小野妹子 > 丁原の養子というのは、『演義』の中の話ですね。実際は、性格的に似ていたので、気に入って客将にしていたそうです。>呂布<呂布の悪名を高めるための脚色ですね
曹操孟徳 > そうです、確か同郷のよしみで選ばれたような・・・<董卓側の使者は李粛
曹操孟徳 > そして自分に反対するものがいなくなったのでまた廃帝の話を諸侯に持ちかけます。
蒲生秀行 > 滅茶苦茶嬉しそう(会心の笑み)に持ってきたと思うな・・・・わし<丁原の首
諸葛誕公休 > 董卓側の使者は李粛だったと記憶していますが?<赤兎馬をあげたとき
曹操孟徳 > 董卓は赤兎馬をやる代わりに丁原の首を要求してきたので呂布は丁原の首を持ってきます。呂布は「その時」どういう心境だったんでしゅうね?
諸葛誕公休 > さすが三国一の猛将ですな<呂布
曹操孟徳 > それで董卓は呂布をなんとか味方に付けようとします、その時に出てくるのが赤兎馬です。
曹操孟徳 > その翌日に丁原は董卓に戦いを挑みます、しかし呂布の活躍で董卓軍は大敗してしまいます。
豊臣秀長 > 丁原の養子でしたよね>呂布
曹操孟徳 > 董卓が弁の廃帝の時に反発したのが丁原で董卓が丁原を斬ろうとした時に丁原の後ろに控えてた呂布を見て斬るのをやめます。
豊臣秀長 > 出た!!義父殺し>呂布
蒲生秀行 > 赤兎馬と交換ですからね<丁原の首
明智光秀 > ふむ
曹操孟徳 > そうですね、丁原は呂布に殺されるために出てきますが(笑)
蒲生秀行 > 遂に丁原(と呂布)の登場ですな^^<皇帝交代断固反対
曹操孟徳 > 彼は洛陽を我が物顔にしますが政治に関しては己の配下を使わずに有能な人材を登用していったようです。
曹操孟徳 > しかし董卓の勝手な振る舞いについて袁紹達は反発しだします。
曹操孟徳 > 洛陽に入った董卓はいきなり弁皇子を廃して協を王位につけようとします<下馬しろが効いたのかな(笑)
蒲生秀行 > 根回し得意なんですね(笑)政治家向きですな(爆)<董卓
豊臣秀長 > 恐るべし董卓>集まる
豊臣秀長 > 錯覚を利用?・・・・・!!
曹操孟徳 > そういう涙ぐましい努力の甲斐があって、何進の部下までもが董卓の下に集まっていきます(笑)
蒲生秀行 > 戦は弱いけど、結構知恵働きますね<無制限董卓軍作戦
曹操孟徳 > 彼の兵隊達は夜影に乗じて洛陽を出、また入ってきます。それを5,6日繰り返す内に董卓の軍は無限にいると人に思わせるのでした。
豊臣秀長 > ふむふむ、>下馬
曹操孟徳 > それを見たから董卓は協を皇帝にしたともいわれてますね(笑)<下馬しろ
蒲生秀行 > 劉協君に「ちゃんと下馬しろ!」って怒られたらしいですね(笑)<救出劇
曹操孟徳 > しかし彼が連れて来たのはせいぜい3000程度の兵隊だけなので他の武将になめられないように策を弄します。
曹操孟徳 > その皇帝達を救出した董卓は洛陽に英雄として入ります。
小野妹子 > 事件を悠々充分に見学できますね^^>柴田殿
曹操孟徳 > その切り込みを聞きつけ十常侍の一人の張譲は弁皇子(もうすでに皇帝)と協皇子を連れ出し洛陽を逃げ出します。
小野妹子 > 宦官ではなく髭のない人は、下をちゃんと見せて生き延びたという・・・・
柴田勝家 > 髭の有無Σ( ̄□ ̄ノ)ノ
蒲生秀行 > 無茶苦茶ですね<宮廷に切り込む
曹操孟徳 > 諸侯達は洛陽郊外に駐屯させとけばそれでよかったから洛陽の中にまでは入ってきませんよ。
卞玲瓏 > なんて乱暴なのかしら・・・<髭の有無で・・・
小野妹子 > 宦官には髭が無いですからねぇ
曹操孟徳 > 何進の暗殺に激怒した袁紹、袁術兄弟は宦官滅殺のため宮廷に切り込みに行きます。その時に宦官かどうかを見極める手段として髭の有無で殺したそうです、お陰で関係ないまで殺されたそうです^^;
豊臣秀長 > 集められた諸侯はどうなっちゃうのでしょう?
蒲生秀行 > あっけないね<何進
卞玲瓏 > 結局暗殺されちゃうんですか・・・・<何進
小野妹子 > 何進がしっかりした将だったらねぇ
曹操孟徳 > 袁紹達の計画を聞きつけた宦官達は一気に警戒し始め何進を参内させ暗殺してしまします。
曹操孟徳 > その話にのったのが董卓なのです<諸侯呼び集める
曹操孟徳 > それでも気にいらない袁紹達は何進に何太后の承諾を得るために全国の諸侯を呼び出そうと言い出します。
曹操孟徳 > これを機に袁紹達は宦官の滅殺を何進に進言しますが、妹である何皇后に止められ何進は特に目立った宦官達の処刑だけに終わります。
豊臣秀長 > 処刑・・・(´ヘ`;)ハァ
卞玲瓏 > ほぅほぅ・・・
曹操孟徳 > でも蹇碩は懲りずにまた何進を暗殺しようとして仲間の宦官達に密書を送るが何進の手に落ち蹇碩は処刑されてしまいます。
曹操孟徳 > う〜ん、言われなかった言うよりは何進に泳がされてたような・・・^^;<蹇碩
蒲生秀行 > 恐らく状況的に暗殺がありそうと言うぐらいの事で証拠もなかったからでしょうね<蹇碩不問
曹操孟徳 > 暗殺計画が失敗に終わり、何進は宦官達に対して警戒をし始め、袁家などの名門武官を己の警護につけます。
卞玲瓏 > バレバレだったのに、誰にも何も言われなかったのですか?蹇碩さんは・・・。
曹操孟徳 > 多分バレバレだったから何進が参内しなかったんだと思う^^;
蒲生秀行 > ほほう<袁紹の叔父も
卞玲瓏 >蹇碩の計画って誰にもばれなかったのですか?
曹操孟徳 > そして何皇后が摂政になり何進と袁紹の叔父の袁隗が皇帝を補佐します。
曹操孟徳 > そして蹇碩の計画は空振りに終わり、皇帝になったのは何皇后の息子の弁皇子が皇帝になります。
曹操孟徳 > しかし身の危険を感じた何進は病気と偽って宮廷に参内しようとしません。
明智光秀 > ふむ
曹操孟徳 > 蹇碩は霊帝の崩御の際に何皇后の兄で大将軍の何進を弔門の時に暗殺しようとします。
曹操孟徳 > 己の死期を悟った霊帝は宦官の蹇碩に皇子の協の身を託します。その時に蹇碩は何家の排除を計画するのです。
蒲生秀行 > 何進と十常侍の対立ですな(^^)<対立
曹操孟徳 > その時霊帝には二人の太子がいました、何皇后が生んだ弁王子と、王美人が生んだ協王子です。
曹操孟徳 > 霊帝が死後宮廷ないでは宦官と外戚の対立が激しくなっていきました。
豊臣秀長 > はい
曹操孟徳 > さて少し話を董卓から離して後漢の都洛陽の方に移すとしましょう。
蒲生秀行 > 流石は後漢の武将。へっぽこですな(笑)<張温びびる
曹操孟徳 > しかしその張温は董卓を恐れてなんの沙汰もなくその乱は終わります。
曹操孟徳 > そしてやっと重い腰を上げたかと思うと今度は張温に対して傲慢に振舞う始末。その態度を見かねてその時張温に従軍して乱の討伐に参加していた孫堅が董卓を切るようにと張温に勧めます。
卞玲瓏 > ああ、なるほど<守備隊ではなく討伐隊だから・・・・
曹操孟徳 > その戦いの経過報告を命じます。しかし彼は病気とかなんとか言ってなかなか腰を上げようとはしません。
河尻秀隆 > ふむぅ。
曹操孟徳 > その戦いの後張温というのが董卓に
蒲生秀行 > 守備隊なら無傷の帰還は斬首ものでしょうが討伐隊ですからね。勇気ある撤退も評価されると思いますよ
河尻秀隆 > むしろだめなようなΣ(´□`<童卓だけ無傷
曹操孟徳 > でも負けは負け、そこでまたもや官職を奪われるはずだったんですが、その韓遂の討伐には他にも五部隊が出てるんですが、無傷で帰ったのは董卓だけだったので何も言われなかったんです。
河尻秀隆 > 微妙に切れ者(笑)
小野妹子 > 水攻めとはなかなか冴えますね。なかなか出来る物ではありませんからね
豊臣秀長 > なんと!!頭いい董卓
蒲生秀行 > 意外に智謀が冴えてますね(笑)
小野妹子 > 韓遂は漢朝にとっては逆賊なんですよね
曹操孟徳 > しかしその漁猟は嘘で本当の目的は河川をせき止めて池を作っていたんです。そして追いかけて来た羌族たちに堤を切って水の力を利用してなんとかキョウ族の追撃を振り切ります。
河尻秀隆 > 大将自ら漁に出るのΣ(´□`
蒲生秀行 > なんか呑気ですな(^^;かなり危ないのでは・・・<魚獲り
豊臣秀長 > 魚をですか
曹操孟徳 > 取り囲まれた董卓は食料が無くなっていくので魚を取りに行きます
柴田勝家 > あらら・・<囲まれちゃう
曹操孟徳 > 討伐に出かけるが、董卓は数万の羌族に取り囲まれてしまいます。
曹操孟徳 > しかしその戦いでは官職を取られたりしないんです。
曹操孟徳 > 董卓達が韓遂討伐に出ますがここでも彼は負けてしまうんですね^^;
曹操孟徳 > そうです<馬超を裏切る
曹操孟徳 > そうです<馬騰がいるあたり
豊臣秀長 > あとで馬超裏切るあの韓遂?
河尻秀隆 > 馬騰が居たあたり?<涼州
曹操孟徳 > 董卓がいる臨トウからもう少し北西の涼州で韓遂達が乱を起こすんです。
曹操孟徳 > しかし彼はあまり間をおかずに公職につくことになります。
蒲生秀行 > 恩賞まで貰ったらしいですね・・・<負けたけど賄賂送って
曹操孟徳 > でも彼は異民族の討伐に関してはなかなかの戦功を上げるんですよ、しかしその戦功も黄巾の乱の際に取り上げられてしまいます。
豊臣秀長 > 賄賂までいっちゃうのですか
河尻秀隆 > 最低Σ(´□`
曹操孟徳 >しかし彼は十常侍達に賄賂を送って自分の失態をなんとかごまかしてもらうんです
蒲生秀行 > 弱くて、偉そうとは武人として最悪ですな(笑)
曹操孟徳 > しかし彼は実際の黄巾の乱でそう大した戦功を上げてないんですよ、っていうより負けてしまうんですね^^;
蒲生秀行 > 最初が平身低頭なだけに余計ね・・<だめな初登場
曹操孟徳 > しかも助けられて劉備達と会うが、彼らが無官だと知ると手のひらを返したように横柄な態度になるというだめな初登場でした。
河尻秀隆 > 親分ってことかφ(.. ) メモメモ
曹操孟徳 > さてその董卓が演義で初めて登場するのは黄巾の乱で黄巾党に追いかけられてるところを劉備三兄弟に助けられるという初登場でした(笑)
豊臣秀長 > なるほど>面倒見のいい長者
蒲生秀行 > ほほう。意外ですな<全て部下へ
曹操孟徳 > まぁ、面倒見のいい長者って感じかな<任侠の徒
曹操孟徳 > また董卓は戦で戦功を上げ、恩賞として絹9000匹を受け賜ってもそれを惜しげもなく部下に全て分け与えるなどの中々の親分肌のようです。
明智光秀 > ほう
河尻秀隆 > 任侠の徒ってなんですか?
河尻秀隆 > 耕牛を殺して招く?
豊臣秀長 > 大切な牛殺して、肉料理・・・
蒲生秀行 > ほう<招いたりしてた
曹操孟徳 >羌族の連中はその心意気に感心して董卓に家畜類1000頭を送ったりしてたみたいです。
曹操孟徳 > また彼は若い頃は任侠の徒でもあったようで、彼が郷里に帰って農耕生活を送っていると、羌族の人間が訪ねてくると耕牛を殺して、彼らを招いたりしてたみたいです。
曹操孟徳 > しかし、彼は撃退の仕事を受け持ちながらも異民族の顔役たちと親交を結ぶなどなかなかしたたかなところも見せてます。
曹操孟徳 > そうそう、だから彼はだいたい20年にわたって異民族鎮圧の仕事をします。
豊臣秀長 > やっぱ境には・・・・>異民族
河尻秀隆 > 北西?ということは・・・西涼のあたり?
曹操孟徳 > いや、北西です、だから彼の説明の中で結構異民族の話がでてきます。
河尻秀隆 > 中国東北部の真ん中あたりかな?
蒲生秀行 > 了解しました<大悪党について考える
豊臣秀長 > はい
河尻秀隆 > ふむ。
曹操孟徳 > さてこの董卓ですが、三国志初期の大悪党として描かれているわけですが、彼は本当に極悪人なのかどうか私の説明を聞いて皆さんで考えてみて下さいね?
曹操孟徳 > 董卓仲穎(?〜一九二年)は隴西郡臨トウの出身です。場所は北西の方で漢の領土と匈奴の領土の境と思っていただいて結構です。
曹操孟徳 > 董卓仲穎(?〜一九二年)は隴西郡臨トウ出身です。場所は北西の方で漢の領土と匈奴の領土の境と思っていただいて結構です。
武田晴信 > 今日の御題は、「董卓は本当に極悪人なのか?」であります。幹事は曹操孟徳殿です。
武田晴信 > さて、時間ですので歴史会をはじめましょうか^^