「歴史会毛利元就シリーズ第一回「毛利季光〜毛利元就宗家相続迄」を六月九日23:00開催」by上杉景勝

勲功値:参加者(3):織田信孝小野妹子上杉景勝

小姓 > 暫し、お待ちを!上杉景勝殿によって現在のお知らせが「歴史会終了!次回は何時?」に設定されましたぞ。

織田信孝 > お疲れ様でした(^^)>景勝殿

小姓 > 小野妹子殿、またお越し下さいませ。

小野妹子 > お疲れさまでした^^

小野妹子 > 権力ふるっても・・・2〜3年だけでしたが<義視

上杉景勝 > 特に無いようですし、歴史会は幕を引きたいと思います。

上杉景勝 > 結果は義視が権勢を振るうようになりましたが…

上杉景勝 > 多くは義稙の就任は反対しましたね、日野冨子の思い通りに就任さす事に成功しましたね。

小野妹子 > そういえば、似ているのぉ・・・・<小野妹子&日野富子

小野妹子 > 権力ばばあですな

小野妹子 > 日野富子は、すごいね・・・・義尚を擁立して、幕政をにぎり、義尚が死ぬと、応仁の乱で対立した義視の息子義稙を将軍にしたんだから・・・・

上杉景勝 > 北陸に中国地方に、四国…<流公方

上杉景勝 > 小野殿何か質問御座いますでしょうか?

織田信孝 > ^^;<流公方

上杉景勝 > 流公方が仇名ですからね<義稙(^^;)

上杉景勝 > そうですね、元就が外交的に権威を利用したのもこれが初めてですね<義晴将軍

織田信孝 > 追い出されてばっかですなあ(笑)<義稙

小野妹子 > よって、元就は義晴公によって、認められたとみるべきでしょう

織田信孝 > 私は特に無いです

小野妹子 > 1493年義稙は義澄に追い出され、1508年大内によって復職、1521年義晴に再び追い出されております

上杉景勝 > いえいえ、他に特にないでしょうか?

織田信孝 > お手数かけますm(__)m

上杉景勝 > 近いうちに御報告させていただきます。

上杉景勝 > 色々と変化が激しいので当時の京の状況はよくわかりません(^^;)

織田信孝 > まあ、将軍が誰であっても特に関係ない時代でしたね^^;

織田信孝 > もう義稙じゃなかったんですね<義晴

上杉景勝 > 元就の宗家相続が1523年ですので、義稙か義晴のどちらかと思いますが、多分義晴ではないかと

上杉景勝 > う〜ん、義晴かな?

上杉景勝 > 当時尼子氏の勢力が旺盛だったので、このさい尼子の旗下に属そうとする意見が合ったみたいです。

織田信孝 > 元就の宗家相続を認めた将軍って誰ですか?

上杉景勝 > 少し表現が変だったかも知れません、養子ではなく、然るべき人物だと思います。

上杉景勝 > 元綱は元就の異母弟みたいです。

上杉景勝 > 元綱を殺すのは元就が家督を継いだ後でしたので、とりあえず調べてないです。

小野妹子 > ご免なさい。尼子からの養子というのは、相合元綱でしょうか?

織田信孝 > 質問は・・と

織田信孝 > ほうほう^^

小野妹子 > 相合元綱の件ですか?

上杉景勝 > 以上で、当初の予定は終了しましたが、質問など御座いますでしょうか?

上杉景勝 > 元就が当時の将軍に毛利家を継ぐのを認めてもらい、元就が継ぐこととなりました。

上杉景勝 > 元就が当時の将軍に毛利家を継ぐのを認めてもらい、元就が継ぐこととなりました。

上杉景勝 > 元就か尼子氏から養子を貰うという事になりましたが!

上杉景勝 > そして、家中で次の宗家を誰にするかで合議され

上杉景勝 > 九歳の子には戦場は刺激が強すぎたと…衝撃を…で死を早めたみたいですね。

上杉景勝 > この尼子氏の合戦の後幸松丸が九歳で死去します。

上杉景勝 > 内部分裂を誘い城を落城させましたしかし、落とした後経久と意向が合わすに城を中から落としたものは、城主の一族だったもので、武士にあるまじき行いとして殺されました。

小姓 > 森蘭丸殿、またお越し下さいませ。

森蘭丸 > では、私もそろそろ失礼いたします。あとは、ログを参照させていただきます(^^)

上杉景勝 > 尼子氏の勢力拡大に従軍した元就は調略で一つの城を落としましたが

上杉景勝 > 大内義興は自分の養女を娶らせ送ったのですが、養女は送り返されたそうです。

上杉景勝 > 大内義興の上洛に同行したようです。

上杉景勝 > そうですが、その前に武田旗下の熊谷氏と戦っておりますね。

小野妹子 > 武田元繁は、それまでどこにいたんですか?<派遣されたとありましたが

上杉景勝 > ええ、幸松丸が家督を継ぐと、当時の情勢が尼子氏に有利だという事もあって尼子に与することとなりました。

小野妹子 > 大河では、これを元就の初陣としてましたね。<対武田

上杉景勝 > これは元就が指揮していたみたいですね。

上杉景勝 > 兵力的には毛利氏は圧倒的に振りでしたが、毛利氏の敗走に武田元繁が自ら追撃の先陣を切ってきたのでこれを利用し討ち取りました。

上杉景勝 > これを機に守護家の権威でも復活させようとしたのでしょう。

上杉景勝 > 武田元繁は尼子経久牽制の為に大内義興に安芸に派遣されたのですが

上杉景勝 > すこしずれましたが、興元が在京中に安芸守護武田氏が安芸を侵食し始めました。

上杉景勝 > これを後見人の一人として毛利元就がいます。

上杉景勝 > そして興元の長男の幸松丸が宗家を継ぎます。

上杉景勝 > 興元はその後両国に戻り尼子氏に備えていましたが、酒害で二四歳で死去します。

上杉景勝 > 服属の起請状です。

森蘭丸 > 起請状??

上杉景勝 > 細川氏の内紛1502年これにより志道が義興への接近を図る、政元部下に殺される1507年これを機に大内義興、義稙を奉じ上洛する。

上杉景勝 > 興元は大内氏起請状を出して帰属しました。

上杉景勝 > 1506年に弘元が死ぬと

上杉景勝 > これを気に宗家の執権志道広良が大内方に接近を図りました。

上杉景勝 > そのころに細川政元が家臣に殺され、細川家内で家督相続で分裂しました。

上杉景勝 > 弘元は幕府方に方より大内討伐の総大将を使わされるように願いましたが、

上杉景勝 > えと、弘元が元就の父ですね、この弘元は嫡男興元が八歳で隠居します。

上杉景勝 > 足利義稙=十代将軍・幕府=細川政元・11代将軍義澄。

上杉景勝 > 幕府から義稙追討の命がきます。

上杉景勝 > 足利義稙が大内義興たより周防にくだると、義稙に忠誠を誓いましたが

上杉景勝 > 弘元は大内氏に従属していました

上杉景勝 > 庶家が寄り合って毛利家を動かしていきました。

上杉景勝 > 九歳で家督を継いだ弘元も当然ながら政務をする事も適わず

上杉景勝 > 豊元やこれkらでてくる弘元や興元が酒害で死去するのは自分の意思通り動けず、酒に走ったとする説もありました。

上杉景勝 > 嫡男の弘元は当時八歳か九歳

上杉景勝 > だいぶ勢力を拡大させた豊元ですが、三十三歳で死去します。

上杉景勝 > 何故宗全と行動を共にしなかったかは分かりませんが、早いうちから行動は別だったみたいですよ。

上杉景勝 > 山名氏は是豊のみが東軍としてはたらしておりました。

上杉景勝 > 百貫は500石から700石と聴きますから、二万石から二万八千石の所領ですね。

小野妹子 > 山名氏は・・・西軍ぢゃなかったの??<西軍大将は山名宗全だったような・・・

上杉景勝 > 合わせて4000貫とありましたね。

上杉景勝 > 西軍に属して、戦功を上げ大内氏や山名氏から新領地を与えられます。

上杉景勝 > この是豊の豊が当時の豊元の豊だと思われます。

上杉景勝 > 有力な東軍は山名是豊ぐらいなもんでしたので。

上杉景勝 > まあ、場所的に西軍の方が有利ではありますがね。

上杉景勝 > 西軍の方が有利と言うことから西軍に寝返り、この気に勢力の拡大を図ります。

上杉景勝 > でまあ、当初は没収地を回復する為に東軍(将軍側)として働きますが

上杉景勝 > けつしょの罪という事らしいです(罪の意味がわかりませんでした、漢字もけつの方がでません)

上杉景勝 > そうこうしている内に、応仁の乱が始まります。

森蘭丸 > 没収する気が、逆に没収されちゃったって事ですか?

上杉景勝 > 毛利元就の統べてを見る限りでは、当時毛利家庶家の中では一番の勢力を誇っていました(麻原氏)

上杉景勝 > 麻原氏は幕府に宗家が不当だと訴えて、宗家の所領の一部を幕府に没収されます。

小野妹子 > 菊<池>ですね・・・・

上杉景勝 > 照元の代になると、その庶家の麻原氏が惣領家の命を気か無い様になり、宗家は領地を没収しますが

江藤新平 > ごめんなさい<今回の議題と全然関係ないし(汗)

江藤新平 > イギリスに密航する際に養子先に迷惑がかからないように井上姓に戻してますけど。

上杉景勝 > 嘉吉の乱では細川氏に属し、赤松氏を攻めてます。

上杉景勝 > 庶家を統べて合わせれば宗家といえど屈せざる追えないほどの勢力です。

上杉景勝 > これぐらいの時代だと、庶家が宗家に匹敵するほどの勢力を持っているところもあります。

織田信孝 > 明治期の人では・・?<井上馨

江藤新平 > 幕末明治期の人です<井上聞多=志道聞多

上杉景勝 > ええ、光房は九州で戦死又は病没します。

小野妹子 > ほぉ・・・井上馨

上杉景勝 > 井上馨って大河で聞いたような名のような気もしますが<戦国なんですか。

上杉景勝 > 応永の乱で大内氏の勢力がそがれたのが一つの原因でもあるでしょうね<九州戦国

小野妹子 > そうなんだ^^<養子

上杉景勝 > ええ、南九州では島津氏が北では、大内、大友、少弍氏が…伏線で菊地氏

江藤新平 > 井上馨も志道氏の養子になってます(^^)<いつぶりの発言だろう…(笑)

上杉景勝 > あの先ほどの国人一揆ですが、大小合わせて33領主だそうです。

森蘭丸 > そうなんですかー<九州が一番最初に戦国化

上杉景勝 > 義教は九州を大内氏の力でまとめさせて後に力を殺いでいこうとでもしたのでしょう。

上杉景勝 > 九州は一番最初に戦国化しました。

森蘭丸 > 養子ですけどね…<桂小五郎

上杉景勝 > 又、光房も六代将軍義教の戦略で大内氏に従い九州に従軍しました。

上杉景勝 > そういえば、桂小五郎って桂氏なんですね。見落としてた(苦笑)

上杉景勝 > この国人一揆は幕軍が派遣されると決定されると降伏しました。

森蘭丸 > そうなんですかぁ。<桂氏支流φ(.. ) めもめも

上杉景勝 > 守護の山名満氏が支証のはっきりしない所領を没収するとの事で、国人一揆が…。

上杉景勝 > 山名満氏の安芸国所領整理に反発して国人一揆に名を連ねます

小野妹子 > 桂氏もだよ〜ん<支流>蘭ちゃん

上杉景勝 > 光房の代になると国人化が見え1404年安芸守護となった

上杉景勝 > もっと庶流はあったのですが、流石に面倒でそこまで必要でないだろうと思い、あれぐらいにしておきました。

織田信孝 > ありがとうございます^^<資料

上杉景勝 > 神戸殿→http://www28.tok2.com/home/nanboku/keizu.htm簡単な資料

上杉景勝 > 大内方に付いたのになんで、所領を没収されなかったとの疑問が残りますから、ついてないと考えた方が簡単です。

小野妹子 > 志道(しじ)とか・・・<支流

上杉景勝 > ある本には応永の乱で大内方に付いたとあるのですが

小姓 > 織田信孝殿、ようこそお越し下されました。    

上杉景勝 > 1385年ぐらいの事です。

上杉景勝 > 母が妊娠中だったと言います。

上杉景勝 > 広房の後継者の光房なのですが、未だこの時生まれておらず

上杉景勝 > 次の広房の代になると、良くわからず安芸国内での戦いで戦死しました。

上杉景勝 > 条件として惣領家の命を聞くようにとの事で、後に戦国期で活躍する庶家が出ます。

上杉景勝 > 九州から帰国した元春は父の遺領(なのかな?)を弟達に分割相続させました。

上杉景勝 > その後の元春は九州探題今川貞世に従い九州に従軍します。

上杉景勝 > 山名や大内氏がそのもっともたる例ですね<義詮の懐柔策

上杉景勝 > 簡単な紹介:山名氏は新田義重の長男義範が上野国多胡郡山名郷に分家をし、山名氏を称した、南北朝のおりは足利家に属し、新田氏とも戦い、足利家の内乱では直義党に属した。その後一族で、11ヶ国の守護になるなど、六分の一殿などと呼ばれた。仁の乱の山名宗全はこの家系である、室町幕府では四職の一家である。

上杉景勝 > 新田氏は早くから足利に属していたみたいですね。

小姓 > 井伊直政殿、またお越し下さいませ。

井伊直政 > すみません。明日用事がありますのでここら辺で落ちますね。またログを拝見させていただきます(^^)

上杉景勝 > 足利義詮は主に領土を安堵し、有力守護を幕府に帰順させました。

上杉景勝 > ですが、1367年二代将軍足利義詮の代に幕府に所領安堵され帰属を果たします。

小野妹子 > 山名氏は・・・・なんと、新田氏の支流とある・・・・

小野妹子 > ロクブイチドノのようですな>上杉殿

上杉景勝 > 元春は一度尊氏方を転じるのですが、どこへ所属したのがよくわかりませんでした。

上杉景勝 > 六分の一殿かな?<山名氏

井伊直政 > 11カ国の守護!

上杉景勝 > 吉田郡山城を築いた元春が安芸毛利始祖とも言われますね。

上杉景勝 > で1336年に時親が安芸に下り、安芸毛利氏祖とも言われますが

小野妹子 > 11カ国の守護を兼任したこともありますからね・・・・<山名氏>六分の一衆だっけか

上杉景勝 > あの時代に、後醍醐天皇の理想は通用するような時代ではありませんでしたね。

井伊直政 > 石高に直すと大体どのくらいだったんですか?<山名氏

上杉景勝 > でまあ、元春も時親が生きてる間は尊氏方として働きました。

上杉景勝 > 山名氏は大国でしたからね、戦国期には想像もできないほどの…。

小野妹子 > 武士の建武の新政批判は・・・・解るような気がしますね・・・・( ̄_ ̄;)

井伊直政 > 奪回したわけですな

小野妹子 > 山名氏と結んでいたときがあるようですな・・・・系図によると

上杉景勝 > 建武政権の機関は結構いい加減ですからね。

上杉景勝 > 足利尊氏の離反で足利方の武田信武とともに親政の地頭を追い出す事に成功しました。

小野妹子 > 曾孫の名が『元春』なんだ・・・・・

井伊直政 > 没収されちゃったんですか!?<吉田荘

上杉景勝 > 時親の代官としては曾孫の毛利元春になります。

小野妹子 > 曾孫に吉田荘を譲っている・・・・長生きぢゃのぉ

上杉景勝 > 鎌倉滅亡で時親は隠居をしたそうです。

井伊直政 > 長生きですな

上杉景勝 > で鎌倉滅亡、建武の親政で建武政権に吉田荘を没収されたのです。

森蘭丸 > すごい長生き…

上杉景勝 > 85前後が妥当かな?

井伊直政 > 80歳以上ですかな?

井伊直政 > 大体70歳以上・・・

上杉景勝 > 1270年に荘園を譲られたありますので<時親

上杉景勝 > ええと没が1341年で誕生が詳しくはわかりませんが1270年よりは前でした。

上杉景勝 > http://www28.tok2.com/home/nanboku/keizu.htm系図に少し簡単な事書いてますので何かの参考にして下さい。

森蘭丸 > 元就も結構長生きじゃありませんでしたっけ??<毛利一族で一番長生き

小野妹子 > 元就より??<長生き

井伊直政 > 何歳くらいだったんですか?

小野妹子 > どんどん小さくなりますな・・・( ̄〜 ̄;)<みなみじょう庄

上杉景勝 > どうでしょうか、ただ毛利一族で一番長生きしたのではないか!というほど生きてそうです。

上杉景勝 > 時親は南条荘を孫の家親、嫡流の孫親衡、三男広顕に分け与えました。

小野妹子 > いわゆる優秀だったんですかね<時親

上杉景勝 > 詳しくはわかりませんが。

上杉景勝 > 毛利時親に楠木正成が兵法をならったと伝承があるそうです。

上杉景勝 > 六波羅の政務の要員の一人ってとこですかね。>六波羅評定衆

上杉景勝 > 宝治合戦が後には影響をあまり与えなかったみたいですね<評定衆になるくらいですし。

上杉景勝 > 時代的に元寇前後だと思います<六波羅評定衆

小野妹子 > みなみじょう・・・・言いにくいのぉ( ̄〜 ̄;)

上杉景勝 > だいたいその頃から、鎌倉幕府滅亡までがかいいてる本はありませんでした(苦笑)

森蘭丸 > そんなに重要な地位なんですか?<六波羅評定衆

小野妹子 > それってすごいのでは・・・・<六波羅評定衆

上杉景勝 > 南条(みなみじょう)みたいです。

上杉景勝 > 時親か経光の代に六波羅評定衆となり、在京領として河内国加賀田荘200貫を与えられました。

小野妹子 > しらなんだ( ̄▽ ̄;)<同祖一族

小野妹子 > 南条はなんとよむんですか??<ミナミorナン

上杉景勝 > はい、北条(きたじょう)と毛利の先祖は同じなんです。

上杉景勝 > そして南条荘と安芸吉田荘を四男の時親に譲られました。

小野妹子 > よく反乱する家臣でしたな^^<キタジョウ氏

小野妹子 > もしかして、それがキタジョウ氏の発祥??

森蘭丸 > ほうじょうじゃなくて、きたじょうと読むんですか。

上杉景勝 > 基親の子孫が後に越後上杉家臣北条氏です。

上杉景勝 > その北条(きたじょう)を継いだのが嫡男の基親です。

小野妹子 > たしかに南条氏がいると聞いていましたが・・・

上杉景勝 > わかりませんが、誰かがかばったんでしょうね<寛大な措置

井伊直政 > 北条荘と南条荘ですか

森蘭丸 > 北条と南条

井伊直政 > ふむふむ

上杉景勝 > 佐橋荘が北条荘と南条荘に分割されました。

小野妹子 > 時氏の死が早かったみたいですね・・・享年28

上杉景勝 > 経光は越後佐橋荘を二つに分けました。

井伊直政 > やはり婚姻関係もあったんですかね?<寛大な措置

上杉景勝 > 寛大な措置だったみたいですね。

上杉景勝 > 毛利荘は没収されましたが、安芸の吉田荘と越後の佐橋荘は安堵されました。

上杉景勝 > 泰時が死ぬのが遅かったんでしたか?<時氏執権にならず

井伊直政 > そこからどうなったんですか?<経光

上杉景勝 > 宝治合戦で三浦氏側として加わった事から、毛利氏の本拠とでも言う相模国毛利荘を没収されました。

小野妹子 > 時氏は・・・・あの3代泰時の息子ですな。でも執権にはならず、4代目は時氏の息子経時に・・・

上杉景勝 > 話しを戻すと、経光は宝治合戦の責任を負わされずに済み、時頼の追討を受けずに済みました。

上杉景勝 > 佐竹は奥州藤原よりだと記憶しております、それえ頼朝の奥州討伐で滅ぼされてます。

上杉景勝 > まあ、有力者どおし結べば色々と便利ではありますね。

小野妹子 > 頼朝に味方したのは、板東平氏ばかり・・・・・

小野妹子 > 新田・佐竹・足利は源氏なのに頼朝にすぐに味方に付かなかったんだよね・・・・

上杉景勝 > ですが、当時越後佐橋荘に地頭代官としていた経光が生き残りました。

井伊直政 > でも、何故北条家との婚姻は行ったんでしょうか?

上杉景勝 > 宝治合戦により季光が自害し、それに長男から三男まで殉じました。

上杉景勝 > 新田は頼朝の挙兵に応じるのが遅く冷遇されたと聞きます。

上杉景勝 > ですから、時頼の母が安達出身ですね。

上杉景勝 > あっ、すいません時氏の妻が安達氏の出でした。

小野妹子 > ほう・・・・安達が上野の守護だったのか・・・・新田ぢゃなくて・・・・

上杉景勝 > ですが、宝治合戦(北条氏対三浦氏)により三浦氏が敗れ、季光も自害して果てました。

井伊直政 > そんなに濃い血縁じゃあなかったんですね<安達

上杉景勝 > 季光は当初北条氏につこうとしたけど、妻の縁から三浦氏に付く事となりました

上杉景勝 > 安達氏は上野守護であったかも知れないです。

上杉景勝 > 見た所血縁はそれだけ見たいです。

上杉景勝 > 北条泰時の子で時頼の父の北条時氏の母が安達氏の出です。

小姓 > 竹中半兵衛殿、またお越し下さいませ。

竹中半兵衛 > 私はそろそろ落ちますね

小姓 > 小野妹子殿、ようこそお越し下されました。    

上杉景勝 > ええ、一寸待ってくださいね、安達氏と北条氏の繋がりを見てみます。

小姓 > 小野妹子殿、またお越し下さいませ。

上杉景勝 > 安達氏は調べてないので良くは分かりませんが、安達泰盛時代が全盛ですね。

森蘭丸 > じゃぁ、わざわざ警戒する事も無いという事ですか?<安達

上杉景勝 > 当初は北条氏に与しようとしましたが、妻の縁から三浦氏に与することとなりました。

井伊直政 > なるほど、そこまで強い勢力じゃあなかったんですか<安達

上杉景勝 > 具体的には分かりませんが、守護国は北条一門の方が多いです。<勢力

上杉景勝 > そうかも知れないですね、北条氏に対抗するほどの勢力でもなかったのも一つの理由かも知れないですね。

上杉景勝 > で季光の動向なのですが

森蘭丸 > 勢力

井伊直政 > ということは、昔から北条とは仲がよかったんですね<安達家

森蘭丸 > 執権より強いんですか…<

上杉景勝 > 余談ながら、安達始祖盛長?が頼朝と政子の結び付けに尽力したと言います。

井伊直政 > なるほど、勢力は執権より強かったのか

上杉景勝 > だから北条氏に友好的だった安達氏が宝治合戦に北条家に与しました。

上杉景勝 > ええ、三浦氏のほうが婚姻等を含めると勢力は強いと聴きます。

上杉景勝 > 北条時頼は強者を下す為に弱小というような所と沢山与したようで。

井伊直政 > 勢力的にはどっちが強かったんですか?<三浦、北条

井伊直政 > 大河でもやっていた場面ですね<北条と三浦の争いに関与することになる

上杉景勝 > 三浦氏は頼朝挙兵依頼の武家で、北条氏は執権ですね。

上杉景勝 > 順調だった季光も、三浦氏と北条氏の争いに関与することとなります。

井伊直政 > なるほど

上杉景勝 > ええ、承久の乱は西国の武士程後鳥羽院に与したでしょうから。

上杉景勝 > が、詳細は不明みたいです。何時吉田荘の地頭に任じられたかは分かっていないそうです。

井伊直政 > 戦功でしたか

上杉景勝 > これは承久の乱での戦功により地頭に任じられたそうです。

竹中半兵衛 > ちょっとだけ参加^^;

竹中半兵衛 > こんばんは

上杉景勝 > 戦国毛利氏の本拠となる安芸国吉田荘ですが

小姓 > 竹中半兵衛殿、ようこそお越し下されました。    

井伊直政 > ふむふむ

上杉景勝 > 幕府内の評定衆や承久の乱での戦後処理の評定衆にもなってるようで、

上杉景勝 > 相模国毛利荘は父大江広元から譲り受けてます。

上杉景勝 > そうです、ですが次代に繋がれた子の母は誰かわ良くわかっていないです。

井伊直政 > へえ!将軍を自邸に

井伊直政 > 涼子ですね<大河では

上杉景勝 > 将軍を自邸に招くなどもしておるそうです。

井伊直政 > では、三浦の親戚だったんですね

森蘭丸 > すいません、遅刻ですm(_ _)m

上杉景勝 > 又、大河にもありましたが娘が時頼に嫁いでますね。

上杉景勝 > この季光は鎌倉幕府内最大勢力の三浦泰村の妹を娶ってます。

小姓 > 森蘭丸殿、ようこそお越し下されました。    

上杉景勝 > 毛利氏は相模国毛利荘の地頭識を領した季光が毛利姓を名乗ります。

井伊直政 > なるほど

上杉景勝 > 元々、同地に毛利氏はいたのですが、和田義盛の乱で和田氏に与し滅ぼされています。

江藤新平 > 有難う御座います^^ただあまり発言できない可能性が高いですので何時の間にかいなくなっててもお許しの程を^^;;

上杉景勝 > まあ、御存知かと思いますが、大江流毛利氏は大江広元の四男季光が始祖となります。

上杉景勝 > ええと系図http://www28.tok2.com/home/nanboku/keizu.htm

江藤新平 > ってまだはじまってないみたいなのでこんばんは(笑)

井伊直政 > こんばんは、江藤殿^^

上杉景勝 > こんばんは、江藤殿。

江藤新平 > 失礼<挨拶不用です>

上杉景勝 > まあ、一度簡単な呼びかけでしてみたネタとほとんど同等ではありますが。歴史背景を織り交ぜたいと思います。

江藤新平 > (

小姓 > 江藤新平殿、ようこそお越し下されました。    

井伊直政 > こちらこそよろしくお願いします(^^)

上杉景勝 > はじめましょう!では良しなに(^^)

井伊直政 > 始めますか

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